東大寺の大仏。そのC。  2006/10/23
天平15年(743年)、聖武天皇が出した「大仏造立の詔(みことのり)」には、人間から動物、植物までもが栄える世にしたい、と宣言しています。
そのために、大仏を造るんだ、と。

何という「慈悲」でありましょう。

この世に、生きとし生けるもの全てのものに幸いあれ、との願いを込めて、あの大仏は造られたのです。

大仏を拝む、崇めるは、個人の選択としても、ここ最近の「殺伐とした事件、虐待・詐欺・殺人など」を見聞きする度に、大仏に寄せられた「暖かい想い」を思い返したい、と願っています。
鑑真和上の使命感。 そのB。  2006/10/18
鑑真和上さんが助けてくれた「日本の仏教」は、その後、「南都六宗」が台頭し、平安時代には、空海さんの「真言宗」、最澄さんの「天台宗」、そして、鎌倉時代には、法然さんの「浄土宗」、親鸞さんの「浄土真宗」、一遍さんの「時宗」、栄西さんの「臨済宗」、道元さんの「曹洞宗」、日蓮さんの「日蓮宗」というように、広がっていきました。

このようにして、神仏を尊ぶ、と言われますが、日本の歴史・風土の中に、神や仏を尊ぶ「想い」が定着していきました。

日本の将来を憂える聖徳太子が「和をもって尊しとなす。篤く三法を敬へ。三法とは、仏・法・僧なり」と言い残した「その想い」こそを、最近の世情を見渡す時に、ここでもう一度、想い返すことが大切であります。

宗教教育がどうの、信仰の自由がこうの、を喧喧囂囂(けんけんごうごう)しないで、古来から、日本国の中で伝えられて来た「祈りの形」をもう一度「直視」することにより、「人の生き方、心の安寧」を見詰め直すことが必要である、と感じます。

「いじめ」「自殺」「詐欺」「横領」「恐喝」「殺人」など、約2500年前、お釈迦さんが説いた「仏教」、それに説かれている「十善戒」に逆らう事ばかりなのですから。
鑑真和上の使命感。 そのA。 2006/10/17
「どうか日本に来てください」。
それだけで、なぜ、命がけの渡航を何度も試みたのでしょうか。

それは、正しい仏教を伝えたいため、その一念であった、滅亡の危機に立っている日本の仏教を救い、日本の中で確立したい、その一念であった、というのです。

すごい使命感です。聖徳太子によって確立されていった仏教が、時を経て衰退していき、その建て直しと確立を自分の使命とした鑑真和上さん。

唐招提寺の御影堂(みえいどう)に安置されている鑑真和上さんの肖像を拝みたいです。
鑑真和上の使命感。 2006/10/17
唐の高僧・鑑真和上さん。
この方は、どういう理由があって、唐から日本に来たのでしょうか。
(受験で日本史を選択して、勉強していた頃から、私は、この事を不思議に思っていました)

あれこれと調べてみますと、「どうか日本に来てください」と懇願されたためである、というのです。

正式な僧になるためには「受戒」が必要なのですが、奈良時代には、その「戒を授ける儀式」に必要な「三師七証といわれる十人の師」がいなくなっていたので、栄叡(ようえい)さんと普照(ふしょう)さんが、その「師」を迎えるべく、遣唐使船に乗って、唐に向かい(天平5年、733年)、いろいろな事を経て、55歳の鑑真和上に出会い、その後、五度の渡航に失敗の後、天平勝宝5年、753年の12月、鹿児島県川辺郡に漂着した、ということでした。

鑑真和上、66歳。
東大寺の大仏。そのB。  2006/10/17
聖武天皇の父は、文武天皇であり、聖武天皇が7歳の時に、25歳の若さで亡くなっています。

聖武天皇の即位は24歳、27歳の時に男子が誕生しましたが、1ヵ月あまりで亡くなりました。

一方、国中に広がる飢饉、旱魃(かんばつ)、病気、地震などの天変地異に心を痛めていました。

国の異変、我が子の死、聖武天皇は「国の安定と自身の心の安寧」を求めて「何をしなければならないのか」と、思案します。

そして、天平15年(743年)、「大仏造立の詔(みことのり)」を出します。
東大寺の大仏。そのA。 2006/10/16
この大仏さんは、現在では、ひざや蓮弁の辺りだけが当初の奈良時代のものであり、あとは様々な歴史の変遷によって、修理・復興されたものであります。

奈良時代から、鎌倉、そして、江戸時代へと、移り行く中で、この大仏さんは、ドッシリと、日本国中を見守ってきてくれた、という思いがします。

やはり、なぜ、この東大寺の大仏さんが造られたのか、そして、なぜ、今日まで守り続けられて来たのか、また、なぜ、多くの人が、多くの寄進が、多くの念が凝縮されてきたのか、奇跡のような「歴史」です。
東大寺の大仏。 2006/10/14
東大寺の、あのような大きな「像」が、当時、なぜ、建立されたのか?

私は、今まで、そのような疑問を感じないで、「大きな仏さんやなぁ」とぐらいに、見ていました。

東大寺の大仏は、今から1250年余り前、天平勝宝4年(752年)4月2日に開眼されました。

聖武天皇、光明皇后の気持の「現れ」である、といわれています。
秋祭り。屋台。そのA。 2006/10/13
夜、屋台の提灯に、ロウソクの灯がともりました。

綺麗なオレンジ色の提灯が、風に揺れながら、担ぎ手の動きに従って揺れながら、町内を練り歩きます。

昭和30年代頃は、町内を練り歩いている途中で、他の「よいあいしょ」に出会わすと、両者が激突し合う「喧嘩屋台」になりました。

表通りの家の二階には、その「喧嘩」を見物しようとする人たちが陣取って、今か今かと待ち構えていました。

真ん中に乗っている太鼓の打ち手の「音頭(喧嘩のリズム)」に合わせて、勢いよく相撲の取っ組み合いのように、担ぎ棒を激突させて、屋台を揺さぶります。

その頃は、相手の太鼓の革を「裂いた」方の勝ち、ということで、担ぎ棒をつたって、相手の屋台に乗り移って革を裂きに行っていました。
そうはさせまいと、担ぎ手同士の「取っ組み合い(喧嘩)」もありました。

今は遥か、遠い遠い想い出の中の風景となりました。
秋祭り。屋台。 2006/10/09
徳島県鳴門市・岡崎の屋台です。

昭和40年代まで、関西方面から四国への玄関口として、ここ岡崎は「港町」「宿場町」「歓楽街」として、毎夜・毎夜、不夜城のごとく「四国一の町」の様子でありました。

そしてまた、昭和40年代まで、各町で、このような屋台がありました。こちらでは通称として「よいあいしょ」と言っています。室戸第二台風の後、「水害」にあって、今では、5、6台しか残っていません。

当時は、祭りの日、男子(おとごし)20人ぐらいが担いで、一日中、町内を練り歩いて、夕方ともなると、他町の「よいやいしょ」と出くわすと、出会い頭の「けんか屋台(ぶつけ合い)」が、はじまりました。
その「けんか」が楽しみでした。

今では、岸和田のだんじり、西条・新居浜の太鼓台などが有名ですが、ここ鳴門市・岡崎の「よいあいしょ」や「だんじり」も、素晴らしい伝統の祭りでした。

あのような光景は、2度と再現できないでしょうが、その「心意気」だけは、次代の子どもたちに伝えたいと、ここ16年あまり、祭りの盛り上げに走り回っています。

昨日は岡崎、今日は弁財天の「秋祭り」でした。
平成18(2006)年10月4日頃の『世相』。 2006/10/05
徳島新聞の社会面の記事に、一斉に並んでいるのは「偽装」「横領」「不明朗会計」「架空貸付・着服」「経費水増し・裏金捻出」「談合」「詐欺」…などなど。

@「偽装」 
 耐震強度偽装事件の初公判の記事。約4億円の偽装罪に問われたマンション販売会社の社長・被告が初公判で無罪を主張する方針。

A「横領」
 徳島県・小松島市が運営する小松島競輪で、市職員が約916万円
業務上横領。

B「不明朗会計」
 徳島県医師会の労災指定医、産業医の両部会で約210万円を裏金に裏金にした、ずさんな会計処理問題。

C「架空貸付・着服」
 徳島県・鳴門市のJA大津で幹部職員が470万円を架空貸出し、着服。

D「経費水増し・裏金捻出」
 日本スケート連盟の元会長らが経費水増。約4000万円の裏金捻出し着服。

E「談合」
 福島県の前知事の実弟が県発注の下水道工事を談合し、建設業者から謝礼受け取っていた。
 和歌山県発注のトンネル工事の談合で、大手ゼネコンの本店を捜索。

F「偽装請負」
 大阪労働局が、偽装請負をしたとして、京都市の大手人材派遣会社グループの製造業請負会社に業務停止命令。
 国土交通省の各地方整備局の事務所と同省所管の8つの公益法人が偽装請負をした可能性あり。

G「詐欺」
 日本経済新聞社の元部長、子会社の元部長を、「雇用・能力開発機構」から助成金約500万円を詐欺。

 …などなど。

★この『世相』は、何を意味しているのか、ということを考えてみますと、共通項として「騙そうとして」「裏工作して」「金を着服する」、という【人間の我欲】が浮かび上がっています。
 他人の金(主に【公金】)を、何とかして(正規のルートを離れて、真っ当な仕事への対価としての報酬でなくて)、自分の【私金】にしようとする悪の作為そのものです。

●今後、どうすれば、いいのでしょうか。
 どこを、どのように【改善したり、チェック体制の強化したり】すればいいのでしょうか。
 
 いいえ、どこを、どのようにしても、今すぐに【この種を消去できません】。

★なぜか、それは、現実の社会が、【そのような機構の社会そのもの】だからです。
 先日の「ライブドア」「村上ファンド」事件に象徴されるように、また、過去にあった「リクルート」事件の時のように、表でウロチョロしている【小悪人】だけが逮捕されて、【究極の裏の悪人】が、明らかにされないものですから、この種の『公金横領・詐欺』事件は、決して消滅しません。

◆裏の悪人とは? 例えば、談合で手にした「あぶく銭」を提供される側にいる連中…、その他…。
 その連中がこの社会から追放され、消滅したときこそ、真の「人の社会」が訪れます。

 しかし、まだまだ、ずうぅっと先のことです。

 なぜなら、過去、何千年の人類社会の歴史を見てみますと、同じような史実が残ってきています。
 数多くの【悪人】が、戦争、殺害、略奪、詐欺、暴行、横領、偽装、談合、などを繰り返してきました。
 また、誰も望まない【不公平で、不平等で、不埒で、野蛮な行為】を行ってきました。
 何千年も繰り返されて来た【悪行】が、そう簡単に止まったり、急に消えてなくなったりするとは、なかなか信じられません。

◎しかし、その内に、必ずや、その内に、ごく普通の私たちが望むごく普通の平穏な「人の社会」がやってきます。そう信じて、います。
平成18年・第3回定例会における「質問」について。 そのB。  2006/10/02
1.商工行政について。(企業誘致について)。

 この質問の「中身」については、具体的な、かつ、理解しやすいような質問でありませんでした。

(答弁も、全くもって的外れの、肩透かしさせるための、隠し答弁でした)
(なぜ、そのような的外れの中身なのか、理解できる立場の議員は少なかったかも知れません)

 なぜなら、今、「その中身の問題点」を、私の質問の中で、公表していいのかどうか、迷ったからです。

 ★この「企業誘致の件」は、今の状況から判断すれば、将来、間違いなく「禍根を残す」ことになるでしょう。内容が明確になる頃には、大騒ぎにならないよう、祈るばかりです。

2.鳴門市出資法人について。(決算報告について)。

 この質問については、議会側から、ここ2、3年の間に「鳴門市全体の【連結決算書】」を作成しなさい、と指摘しているにもかかわらず、その「意味」さえも理解しようとしない理事者の「怠慢さ」を指摘したものです。
 昨日、平成18年10月1日から、『議会からの情報発信』ということで、今回のテーマとしては『運輸(市営バス)事業』について、現状のデータを、市民に公開して、市民からの意見を聞いてこようとして、取り敢えずは「地区の自治振興会」に出向いて、説明して回っています。

 それもこれも、「一般会計」の財政事情だけでなく、「特別会計」「企業会計」、そして「鳴門市出資法人」も含めた、要するに【市民から集めた税金を使っている「事業」全体】の「お金のやり繰りの実態【これが、連結決算書】ですが」、その実態を公開しなさい、そうしないと、鳴門市の財政が健全になっていると言っている『市長の言葉』は信用できませんよ、ということですが、未だに『隠そう、知らせない、必要ありません、過去の実例からして、していません』ということであります。

 ★これも、『遠い将来?』に、鳴門市の財政の実態が明確になる頃には、大騒ぎになって…、その頃には、遅すぎます。

3.文化行政について。(文化活動について)。

 鳴門市の妙見山に建っている鳥居龍蔵博士の「徳島県立鳥居龍蔵記念博物館」の今後についてを質問したのですが、『県が審議しています』との甘ったるい見解・返答でありました。

 このたび、鳴門市文化のまちづくり条例(素案)を議会に提出してきて、これからの鳴門のまちづくりを、文化を通じて行っていこう、と言いながら、直近の課題である鳥居記念館は? と問うと、あれは県のものですから、では全く話になりません。まぁ、これが、鳴門市行政の実態なのです。
 
 ★答弁している職員が「私には解かりません、知りません」と言っている時、その中身を説明すべき、また、その立場からして市長自らが説明する義務があるのに、自らが説明にも、答弁にも立たない、というのでは、『市長さん』って、何しているの? っていうことになってしまっています。感じていないのは、今日もまた、何の御用事か、上京している『市長さん』だけかも知れませんが…。
平成18年・第3回定例会における「質問」について。 そのA。 2006/10/02
1.商工行政について。(企業誘致について)。

2.鳴門市出資法人について。(決算報告について)。

3.文化行政について。(文化活動について)。

それぞれ質問しました。

このたびは、23回目の質問になりますが、綿密な「打ち合わせ」のない質問は、今回が初めてでした。
私から、前もって質問の「要旨」を各担当部に「通告」しましたが、その各々の担当部からの、前もっての「返答(答弁の要旨)」はありませんでした。

いわゆる「ぶっつけ本番」ということです。

質問して、どのような答弁が返ってくるのか、全く見当がつかないままに、質問を始めていきました。

初問で聞いて、「解からない」とか「腑に落ちない」内容であれば、再問、再々問というふうに、その項目に関して「三回登壇」して質問できますが、大体の「答弁の内容」が解かっていれば、次の質問もやりやすい、ということですが、結論としては、緊張感があって、楽しい(必死に、答弁の内容を聞く)時間でありました。

今後は、質問の「要旨」の通告をやめて、大項目だけの通告でもいいかなぁ、と考えています。
平成18年・第3回定例会における「質問」について。 2006/09/14
鳴門市議会における、私の現在の役職は「議会運営委員会・委員長」です。

いつの頃からか、何の根拠からか、この「役」の議員は「本会議での質問」をしてはならない、との「言い伝え」が存在しています。

その根拠が明確でないままに、私も、就任(平成17年12月27日)以来、3回の定例会での質問を差し控えてきました。

しかし、根拠のないことに捉われることなく、質問事項があれば、質問しようと考えていました。

このたびは、その事項が「在り」ましたので、質問することにしました。


★追記★

また、所属する常任委員会の所轄に関する「件名」は、本会議での一般質問できない(例えば、教育民生委員会の委員になっていたら、教育や民生の事業に関する「件名」について、本会議で一般質問ができない)、とか、全員協議会(全議員が出席して、議題を協議する会)では、その議題を所管する常任委員会に所属する議員は、その所管の議論に関わってはならない、など、不思議な「暗黙の了解事項」が存在していましたが、この点についても、何の根拠も無いのです。

しかし、昨日(平成18年9月14日)の全員協議会で、私が、いろいろと質疑したことについて、「議会運営委員会の委員長でありながら…、とか、所管の議題について質疑したとか…」など、いろいろと取りざたされているようです。

議会制民主主義の地方議会、また、地方自治体(鳴門市)の「幼さ・未熟さ」の一端を現している、「不思議な呪縛」であります。
平成18年・第3回定例会。質問件名。 2006/09/14
件名(質問の主題を、議会では「件名」といいます)と、その(要旨)。

1.商工行政について。(企業誘致について)。

2.鳴門市出資法人について。(決算報告について)。

3.文化行政について。(文化活動について)。

一般質問・2日目(9月21日)、午前の二番目に、質問します。

平成18年・第3回定例会。日程。その後の予定。 2006/09/10
▼平成18年・第3回定例会の日程です。

8月31日 第3回定例会・日程協議
9月 1日 全員協議会
   6日 会派会長・幹事長・正副委員長会
   7日 議会運営委員会
  11日 会派会長・幹事長・正副委員長会 
  12日 産業環境委員会、総務委員会
  13日 第3回定例会・開会 全員協議会
  20日 一般質問
  21日 一般質問、議会運営委員会
  22日 一般質問、全員協議会、正副委員長会
  25日 教育民生委員会、全員協議会、本会議
9月27日〜10月17日 予算特別委員会、常任委員会
10月18日 議会運営委員会、全員協議会、本会議、閉会

10月24日〜11月20日 決算特別委員会、第4回定例会・日程協議

11月22日 議会運営委員会
  30日 第4回定例会、開会(予定)
〜12月20日 閉会

★今から、この日程で、12月20日過ぎまで、全く何も予定の入っていない日は、今のところ、7日間です。

●6月の第2回定例会が閉会してから、「閉会中」に、常任委員会の開催や議員会計セミナー、その他に議会運営委員長として、毎日のように議会に出ていました。
 
◆市議会議員は、年に4回の定例会に出て行くだけで…、などの批判・批評がありますが、昨年末の「自主解散・選挙」以降の、ここ鳴門市議会では、【役どころ】の議員は、ほとんど【常勤】に近いです。
閉会中の「調査・研究」。 そのB。 2006/09/03
教育民生委員会は、「鳴門市教育基本計画」について、産業環境委員会は「公共下水道事業」「ゴミ処理施設」について、などなど、これからの鳴門市の「まちづくり」や「財政負担」を左右する「重要課題」が、「調査・研究」の対象として、山積しています。

総務委員会に続け、とばかりに他の委員会も「目の色を変えて」取り組みだしています。
鳴門市議会も、市議会の「当たりまえの姿」に、やっと「なりつつある」というのが、現状です。

「議員提案」の議会関係倫理条例が策定、提案、可決され、10月1日から施行されます。
これから、各定例会ごとに、「議員提案」の条例を、少なくても「1つ」は提案していこう、との気運まで達しています。

また、当然に、理事者から提出される「議案」の審査についても、徹底した「質疑」をおこなっていこう、としています。

しかし、未だに、理事者(市行政、職員)の中には『甘さ』が点在しています。
今までのような「議案は、議会に出したら、議会が『すんなり』と認めてくれる」という姿勢は、今の議会には通用しないことを認識している理事者が「少なすぎる」のです。

すでに、鳴門市「全体の財政状況は、危機的状態である」という認識が、欠けているのです。

市民の方に、その様子を「どのようにして発信」すればいいのか、議会運営委員会で、検討しています。
いわゆる「出張議会」として、議会が地域(自治振興会の会合など)に出かけて行って、現在の鳴門市の「目前にある危機状況」を、議会側の視点で提示して、地域の方々のご意見を聴く、という方向を検討しています。
閉会中の「調査・研究」。 そのA。 2006/09/03
運輸部、水道部、競艇部、この3部が「企業局」として統合され、民間から企業局長を公募して、「公営企業」としての「建て直し」を図っています。

しかしながら、「民間企業的」な発想・手法を取り入れるのが可能なのは、競艇部ぐらいで、3部を「企業局」にする、という時には、市議会でもかなりの議論がありました。

今年度の当初予算で、バス事業は「赤字予算」を作成して、議会に提出してきました。
『今年度も公営企業として存続させてください。しかし、今年度の収支予算は【赤字】です』

このような「赤字予算」を、議会は認めるわけにはいかない、どうするのか、十分に見通しがあるのか、という質問に、企業局長の「答弁」は、「企業としては、バス事業はすでに破綻しています」、「18年度に再建計画を立てます」ということでした。

その再建計画は、審議会が、各地区の利用者の意見を聴衆したり、また、500万円もの調査費を出して「乗客の乗降数」を調査したりして、作成しようとしているようですが、「現状の存続」を「基本的な視点」にしていますから、「企業として『赤字』である」という、緊張感がありません。

そこで、総務委員会が、議会として「現在、将来への危機感」を視点に、「調査・研究」して、その「報告」を全員協議会で、全ての議員に「提示」したのです。
閉会中の「調査・研究」。 2006/09/03
市議会は、年に4回、定例会があります(条例で決められていて、議会によっては年に5回のところもあります)。

1つの定例会が終る(閉会する)と、次の定例会まで(この期間を『閉会中』といいます)に、各常任委員会(鳴門市議会の委員会は、総務・教育民生・産業環境・議会運営の4委員会)は、それぞれの委員会が所管する重要な「行政施策・事業」について、「調査・研究」を行うことになっています。

例えば、総務委員会であれば、「競艇、バス、水道事業」などについて、当初予算の執行状況や進捗状態などについて、『閉会中』に委員会を開催して、「調査・研究」することとなっています。

平成18年第2回定例会は、6月16日に「閉会」して、次回の第3回定例会は9月13日に「開会」の予定ですから、この「閉会中」に、委員会が開催されなければ、丸々、3ヶ月もの間、議会活動が行われない、ということになります。

それが、このたび、総務委員会は「バス事業」について、「閉会中」に「調査・研究」を行ない、先日(9/1)、全員協議会(全議員の出席する会議)において、その「報告」を行いました。
現在の「バス事業」の抱える問題点、将来への展望など、画期的な「報告」がありました。

議会は、理事者側(市行政)から提案される「事業の方向性」について、それを「審議」することは、得意としていますが、議会側から「対案」とも言える「事業の方向性」の提案をすることは、ありませんでした。
当然に「閉会中」に「調査・研究」をする、といっても、実態は、1回、2回の「行政視察」していた程度でした。

ですから、総務委員会のこの「報告」は、鳴門市議会としては、画期的な「一歩」を示したわけです。
国、異変。2006年・夏。そのB。 2006/08/19
ハワイに移住した日本人がいました。
移民して、日本人として苦労しながらも、アメリカ国の中で「良民」として、真っ当な生活・家族を築きました。

しかし、その後、日米間の戦争が勃発すると、彼らは「敵国民の族」として、収容所に隔離されました。
その子ども達(日系二世たち)は、アメリカ軍の「日系部隊」として、欧州戦線に配属されました。

国対国の戦争は、「国益を優先するため」、「国の意地と維持・護持をかけて」始められますが、その現場(戦場)で戦った者は、悲惨でした。その家族も悲惨でした。

結果、決着がつけば、敗者(敗戦国)は、耐え難い地獄に直面しました。

そこには、ラグビーが如く「ノーサイド」の歓喜も、柔道、剣道の如く「礼」の理性で終着することも、絶対、ありませんでした。

このような「人類国家の軽々しい『業』の連鎖」の中で、北方領土・四島の問題は、日本とロシアの「国の成熟度の差」の象徴として、150年あまり、悪霊・亡霊がごとく、両国の上に漂ってきました。

現在、両国の現状を見れば、どう願っても、「和睦」して「和解」できるような「接点・妥協点」がありません。
両国の、特にロシアの「国の成り立ち方」から見詰めれば、ロシアの四島への「我欲・執着」は、余程の「交換条件」が整わない限り、消し去ること(昇華すること)はできないでしょう。

日本国政府の「成熟した国家間交渉力」を信じています。今は。
国、異変。2006年・夏。そのA。 2006/08/19
司馬遼太郎著の「ロシアについて・北方の原形」を読み返しました。

北方領土について、彼の意見を、要約(長い要約ですが)しますと、

『「坂の上の雲」「菜の花の沖」という作品を書いているとき、ロシアとはなにかということを考えつづけた』として、

『たしかに国際法的には、狭義の北方領土(歯舞・色丹と択捉・国後)は古くから日本に属し、いまも属しています。固有の領土であるということは、江戸期以来のながい日露交渉史からみても自明ことです』

『1951年の対日講和条約で、千島列島と南樺太についてのすべての権利を放棄しました。しかし放棄された千島列島のなかで、右の四島については日本の固有領土であるため、これは含まれていないという解釈は動かしがたいものだと思いますが、現実にはソ連(ロシア)領になっていますし、これについてソ連(ロシア)は別の解釈をもち、問題としてはすでに解決済みだとしています』

『日本国政府がこれを非とすることでいいわけで、あくまで事は外交上の法的課題に属します。これをもって国内世論という炉の中をかきまわす火掻き棒に仕立てる必要はなく、そういうことは、無用のことというより、ひょっとすると有害なことになるかもしれません』

『いわゆるヤルタ協定の第三項・千島列島が、ソヴィエト連邦に引き渡されること。これによって、いわゆる日本の「北方領土」はうしなわれた』と書いています。

そして、『この問題を国内的な国民運動にしたてるのは有害無益なので、この隣人に対し、日本国政府は「外交レベル」で、北方四島の返還について、それを放棄したわけでないという意思表示を恒常的にくりかえすべきだ』としています。

彼は、このたびのような事態の「領海侵犯」の有無、「銃撃、射殺」の是非を想定していたのかどうか、その事態の上で、どのような「外交政策」があるのか、どうか。彼に、聞いてみたかったです。
ただ、ロシアにしても、他国との「国境問題」も抱えていて、厳しい国策であるようです。

日本国政府の「外交力」を信じて、今は、見守っています。
国、異変。2006年・夏。 2006/08/19
北海道根室半島沖、「北方領土」の貝殻島付近で、ロシア・サハリン沿岸国境警備局の警備艇が、日本のカニ漁船に「発砲」。
1人死亡。漁船は国後島に連行。

国境線とは。国の「自立」は。国民の「権利と義務」とは。

1855年の「日露和親条約」、1875年の「樺太千島交換条約」、1905年の「ポーツマス条約」、1951年の「サンフランシスコ講和条約」、これらの歴史経過から、北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)は、日本固有の領土であり、ロシアが長年に亘って、国際「信義、良識」上からしても、「不法占拠」してきたことは、明白である。

しからば、日本国領土内に「侵入」してきたロシアの警備艇が、日本漁船に「銃撃」して、漁民を「殺害」した、というのは、古くは、ヨーロッパの帝国諸国が、「植民地政策」として、武力を背景に、善良な諸国を「犯して」「植民地化」していった「蛮行」に匹敵する。

日本国内では、「古くて、放置してあるかのような自転車を、一時でも無断で私用する」と軽犯罪で厳格に処罰される、にもかかわらず、国境を侵犯され、しかも、民間の日本国民を「銃殺」されて…。

日本政府(国会議員の寄り集まり)は、「国」を、どう考えているのか。夏の「休み」を取っている場合なのか。
即刻、臨時国会を召集して、「国」としての対応の姿を、国民に示すべきである。次期の自民党総裁の「選別」に、時間を浪費している暇など、全くない。

中国とも、北朝鮮、韓国とも、「国境」「靖国」「拉致」など、重要問題を抱えているにもかかわらず、夏休みを取りつつ、地元のお盆に「顔見せ・挨拶まわり」などしている国会議員らは、「国家」についての「自覚」が全く無いのではないか、国会議員の「責務・職務」を「自覚」していないのではないか、と。

2006年・夏、日本国の異変を憂いつつ。
社会教育主事講習。20060818。 2006/08/18
「平成18年度 鳴門教育大学社会教育主事講習」

主催・文部科学省
会場・鳴門教育大学
目的・社会教育法の規定に基づき実施するもので、社会教育主事の職務を遂行するに必要な専門的知識・技能を修得させ、社会教育主事となりうる資格を付与することを目的とする。

今日、上記の講習の講師として、「生涯学習とまちづくり」のテーマで、1時間30分の講座を担当しました。

四国四県の、現職の先生、教育委員会の職員などで、社会教育主事の「資格」を取得するために、参加した方々を前にして、「講座」を展開してきました。

何という「心地好い感触」でしょうか。
日頃は、教壇で、何時間も「授業」する、講座の専門の方々の前で、「しゃべり続けること」は、「緊張」よりも「快感」でした。

今まで「地域の現場」で「やってきたこと」を、次から次へと「語る」のですから、「語らせてもらえる」のですから、「楽しい」ことでした。

とかく、専門家は「机上」を得意としますが、このテーマ(生涯教育とまちづくり)だけは、「現地・地域」で「実践」されなければ、語ることはできません。
日々刻々と、変化する「まち」や「人の集団」を対象としていますから、理論よりも実践・活動そのものが、必要とされます。

そのような内容でした。

思い出深い、印象的な「2006年・夏」となりました。
講師に推薦していただいたB教授、その他の関係各位に感謝します。
鳴門市の課題。財政と生活環境。 2006/08/10
日本国の国民は、日本に住み、住む「自治体」の行政施策を通じて「公共の福祉(行政サービス)」を受けます。

自分の「家の内のこと」は、自分の事として「思うように」できます。
例えば、この食器棚はここにおいて、その中に、使っても使わなくても、このようなグラスを飾って、この部屋のカーテンは、この色にして…。

「公共」に関しては、個々人で「思うように」は、なりません。
水道料金、市バスの路線や時間帯、ごみの分別方法…、など、どのように「設定」するか、市の担当と、市議会とが『決めて』いきます。

今、鳴門市で『課題』になっいるのは、『決めて』いく時に、何を基準にして、『決めて』いくのか、です。

家の中では、カーテンを『決める』時に、ほとんどの方が「好み」と「値段」とを基準にして『決める』でしょう。
この部屋には、この色のカーテン、しかし、値段は、まぁ、この程度にして…、というふうに、『決まって』いくことでしょう。
「値段」を考えずに、「好み」だけで選べれば、最高の気分でしょうが、なかなか、そうはいきません。

それで、鳴門市ですが、鳴門市では、ここ数年、いろいろな施策を『決める』時に、その基準が「バラバラ」なのです。

ある事業は「財政面」から、別のある事業は「好み」から、というふうに、一定していないのです。

また、一つの事業も、時には「財政面」、時には「好み」から、『決めよう』としますから、なかなか、その「公共の福祉への実態」が、把握できないのです。

これから、市議会の「本気」が、試される日々が続きます。
視察、研究フォーラム。 2006/08/10
3日、全国市議会議長会が主催する「市議会研究フォーラム」があり、参加してきました。
その前に、我孫子市の「ごみ行政」「行政業務の民営化」、佐野市の「公共下水道」「こどもの街推進事業」について、視察してきました。

「研究フォーラム」では、北川正恭氏の「基調講演」がありました。

『地方分権でなく、地方主権である。地方は「国」の下請け機関ではなく、その地方に合ったまちづくりを進めること、そのためには、行政と市議会と市民が「協働」して、政策を作り上げていく事が、これからの方向である。
地方でこんなことはできない…、国の補助金が頼りだ…、などと考えず、地方から「風」を送り出せば、小さな「風」でも、全国で吹けば、「変わり」ます。地方が変われば、地域が、国が、変わります。』

変わらないなどと思っているのは、今まで「行動を起こしたこと」がないからです。

このたびの、鳴門市議会の「改革」は、一年前なら『絶対に、考えられない事、行動にも起こせない事』でした。
それが、公職選挙法違反で7人が逮捕され、議員辞職して、補欠選挙か自主解散かで、解散・選挙して、議員倫理条例を制定して、予算審議も全員参加の審議にして…、など。

この半年で、鳴門市議会は「ガラリ」と変わりました。

しかし、まだまだ、です。まだ、あれも、これも「変えるべきもの」があります。

今は、その準備中です。
61回目 広島「原爆の日」。 2006/08/06
今日も、あの日のように、晴天です。夏の日差しです。

広島で、原爆の犠牲者の冥福を祈る式が始まっています。

「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和祈念式典)といいます。犠牲者の冥福のみならず、核兵器の廃絶、そして、即刻、この地球上から「人類同士の戦争の停止」を訴えています。

人の命や、人が人として生まれて来た意味、そして、生まれた理由を問う時、戦争犠牲者の人ほど、理不尽な「人生」はありません。

生まれて来た全ての人が、その寿命尽きるまで、我が思いの通り、悔いなき人生が歩めてこそ、人の一生であります。

  犠牲者の方々のご冥福を祈ります。
真夏です。20060729。暑中お見舞い。 2006/07/29
自宅の窓から見上げる山も空も、真夏色です。

自転車で、小一時間、軽く走りました。

濃い緑木、青い空、日向に居ると、ジリジリと汗ばみます。
木陰に入ると、心地よい風が涼しさを運んでくれます。

私の「56回目の夏」が始まりました。
活性化・改革案。正副委員長会。 2006/07/28
27日(木)、市議会正副委員長会議がありました。

鳴門市議会には、議会運営委員会、総務委員会、教育民生委員会、産業環境委員会、議会だより編集委員会があります。

正副議長と、正副委員長が、議会活動についての活性化・改革案を検討しています。
最終的には、議会運営委員会で取りまとめされます。

その一つ、議員研修会の開催。これは、議員個々の判断で参加してもらう事になるでしょう。
特に、予算・決算の「見方、捉え方」についての勉強会を、この夏に集中的に行おうとしています。

2006年度の決算が済んでから、財政赤字再建団体になることを宣言した「夕張市」は、毎年の「粉飾決算」を繰り返してきた事で、このような「悪態」におちいりました。
その「粉飾」を見抜けなかった、または、見逃して来た、市議会の責任は「大」なるものがあります。

鳴門市には、そのような「粉飾」はない、と確信していますが、もう一度、きっちりと決算書を「微にいり、細にいり」チェックするための「理論武装」の勉強会、というわけです。
視察 議会だより編集委員会。 2006/07/25
24日(月)、日帰りで視察してきました。倉敷市と坂出市。

両市ともに「市議会だより」の編集・発刊の方法や方針が、鳴門市議会とは若干異なっている点がありますが、どちらかと言うと、両市の方が、「より親しみやすい」という印象を持ちました。

移動の途中、倉敷市の「美観地区」に、「半時間」という短時間ですが立ち寄りました。
雨の合間の空気、濡れた石畳の感触、新緑から初夏に向かった柳の葉の揺れ、言葉に出来ない「時間・空間」を体感しました。

この景観を守り支えるため、どれだけ多くの人たちが、それぞれの人生の「時間・智慧」をつかったことでしょう。

議会が「何をすべきか」「何を受信・発信すべきか」、そして「何を残し、伝えていくべきか」、石畳を歩きながら、感慨に耽りました。
不思議な掛け声。そのA。 2006/07/23
まずは、子どもに聞いてみました。

「小学校の運動会で、どのような掛け声だった?」

「えんやぁ、えんやぁ」

なるほど、『えーんやら どつこいしょ』のえーんやらを『えんやぁ』に縮めたのでしょうか。

私の時は、交互に交代で引き合っていましたので、引く時に『えーんやら』の掛け声で「引く構え・姿勢」を取って、『どっこいしょ』で引きました。

子どもたちは、交互に交代で(引く側と腰を落としてこらえる側の区別)ではなくて、スタートと同時に、両方で『えんやぁ えんやぁ』と掛け声をかけて引き合うというスタイルに変わっていたのです。

それにしても、「えーんやら どっこいしょ」の意味は、依然として、不明です。
不思議な掛け声。 2006/07/22
綱引きの時の掛け声。

「えーんやら どっこいしょ」

そして、一方で、

「えーんやら、よいやさぁ」

【これって、どういう意味・理由なんでしょうか ? 】