雲の芸術。20090520。 2009/05/20
雲の「形」の移り変わりを見るのが好きで、勉強中や仕事中など、何か、フゥッと手を休めたい時には、窓越しに、空の雲を眺めていました。

真夏の水平線に、モクモクと立ち昇る積乱雲や、秋口に、サラッとスジ状に流れるような雲などは、眺めていて、気持ちのいいものです。

眺めながら、大空の「雄大さ」や、天地の「美しさ」を知ることができます。

先日、5月18日、委員会で視察に出かけましたが、帰りの高速道路で、車の窓越しに、このような雲が見えました。

  (写真をクリックしてください。拡大できます)

大きな鳥が、どこかに飛んでいくような、姿に見えませんか。
左が頭部で、中央が胴体で、右には足を伸ばしているようです。

雲の「形」を、何かの形に重ねながら、自然の芸術を堪能しました。

たまには、大空を眺めてみましょう。
新緑の銀杏。20090423。 2009/04/24
写真は、四国88札所の五番・地蔵寺の大銀杏です。新緑が美しいです。

桜が散りますと、葉桜になります。

新緑の、淡い黄緑色が野山を覆うと、地上の景色が、一気に軽やかになって、まわりの人たちも、さぁ・やるぞ、との意欲が出た顔つきになってきます。

春は、新スタートでもあり、再出発でもあります。

新緑を見る私たちは、年々に同じでありながらも、年々の新緑は、同じ新緑のようでありながら、去年の新緑ではありません。

最近、季節の移り変わり、特に新緑の頃は、私たちに「再出発の大切さ」を語っているんだなぁ、と感じるようになりました。

《先ほど、ある有名なタレントが、泥酔状態で、奇行に及んだとのニュースがでました》
《有名人であるがゆえに、報道が過剰になっています》

『若者の軽々しい行動・言動を見聞きしていると、私も、その頃に【危うく】そのような事をしたり、言ったりした可能性があったと、思う』(ある格言)

私の10代や20代、そして30代で「自分でも犯してしまっていた可能性がある事」を、今の若者が「しでかして」いても、徹底的には非難できない、と思うようになりました。

若気の至りを、もう一度、もう一度、と言いながら、毎年の新緑が「再スタート」の機会を教えてくれています。

格言書を読んで、そのままに理解して、その後、完璧に実行に移せる人は、皆無でしょう。

あちらで「ゴツン」、こちらで「カッツン」しながら、身体に染みた事こそ、貴重な人生訓として、その後の生き方の道しるべとなります。

若い頃の「ゴツン」、「カッツン」に感謝しつつ、銀杏の新緑を見上げました。
伊賀の里。農事法人。20090420。 2009/04/23
視察に行きました。三重県伊賀市。農業産業について。

農事組合法人「伊賀の里モクモク手づくりファーム」。

年商約40億、職員127名、パート120名。

事業内容
直営農場の経営、直営農畜産加工場、農業公園の経営、通信販売、直営店(県下2店舗)の運営、量販店向け卸販売、農場レストラン経営(県下4店舗、県外2店舗)。

経過
1987年 4月 養豚農家19名を中心に「農事組合法人伊賀銘柄豚振興組合」設立。
その後、手づくりハム工房、手づくりウインナー、農業生産、パン工房、パスタ工房、レストラン、温泉施設、ビアハウスなどを開店、開始。

写真は、宿泊施設で、自然環境学習型の施設になっています。
電源は、風車発電の利用。トイレの水は、雨水の利用など。

一日でも、二日でも、ここで居ると、生きる=『食べること』という、もともとの原点、人間存在の基本点を再認識します。
そして、食=『環境』ということが分かります。

人間は、動物として、生まれた瞬間から、呼吸すること、食べることが始まり、それだけは、どんな人でも、その後の一生、続きます。

毎日、毎日の実態は、食べることに終始しています。朝から晩まで、作っては食べ、食べては作り、の毎日です。

であるからこそ、食材を大切にしなければならないのです。

本来は、食材については、自給自足、地産地消です。原則は、働かざる者、食うべからず、です。

過去からの、農産物の略奪(飢饉、一揆)、護衛の専門集団化(武士)など、いろいろな時代を経て、社会が複雑化し、最近では、貨幣経済、流通経済の発達により、特に、農作物の「生産」に関わらなくても、農産物が簡単に手に入る時代となってきてから、その農産物が「取引、儲け」の対象となって、産地偽装など、食に関して「粗雑」になっています。

「食、なく」して「生きること、なし」であるにも関わらず、食べることが粗末にされてきましたが、ここ何ヶ月かで起こっている「大不況」は、本来の人間社会のあり方を、改めて問い直す絶好の機会であります。

「いただきます」「ごちそうさま」を言う食卓が、今、全国にどれくらい残っているでしょうか。

ここの組合法人は、『行政』に頼っていません。行政の『補助金』に手を出すと、伸びやかな展開がない、ということであります。

行政では、全体から集めた「金・税金」を、さも正当なごとく、一部の分野に『補助』するがごとく、散財します。

まことに有意義な『補助』も、たまにはありますが、大半は、その効果・目的のはっきりしない『補助』が多いようです。

法で資格を与えた「法人」は、人の集合体です。人は食べて、生きています。基本は、食べることです。食べられるからこそ、次の何かができます。
その次の何かのための中身とは、法人の存続の方法では、ありません。

法人を形成する「人」の存続の方法こそ、考えるべきものであります。

最近、テレビで、これだけ世界の食料、料理の様子が報道されるということは、地球規模で、人の存在の意義、方法、中身が、問い直され始めているということです。

ただただ食べる、感謝して、真剣に食べる、安全な食材で、新鮮な食材を食べる、そのために、人間社会は、どうあるべきなのか。

貨幣経済、資本主義経済、流通経済、大量生産大量消費経済、など、今の実社会の様子と、これからの人間社会のあり方が、食材を通して、再検討され、必ずや、再構築されていきます。

新鮮で、安心な食材に感謝しながら、まとまらない感想となりました。
初夏の桜。20090418。 2009/04/23
初夏のような、ちょっと暑くて、さわやかな日和の中で、鳴門教育教育大学の「ぼたん桜」が、咲いています。
毎年、まわりのソメイヨシノなどの桜より、何日か開花が遅くて、初夏の中で、その姿を誇っています。

雨に逢うと、一斉に花を落とし、木の下に、じゅうたんを敷き詰めたような景色を見せます。

入学式が済み、新入生が、そろそろと新しい環境に慣れ始めた頃には、キャンパスは、すっかりと新緑になります。

近所の小学校でも、新一年生の登校姿を新緑が見守っています。

今年の四季が、確かに、始まりました。
桜と、狛犬。20090406。 2009/04/06
近所のお宮さんの桜、例年の満開は、10日前後ですが、今年は何日か早そうです。

この狛犬さんは、なかなかの「貫禄」でありまして、本殿の階段の前で、どぉぉぉんと、鎮座ましまして、毎年の桜の開花を待ち望んでいます。

今年は、早や満開の下、何とはなく嬉しそうな姿で、足を踏ん張って、花見に訪れる方を、お迎えしています。
春のお遍路さん。20090402。 2009/04/06
どっと繰り出しました。春のお遍路さん。

どの札所も、バスや自家用車、そして徒歩で巡礼する白装束で、満杯です。

白装束、これは「死に装束」ですが、これを着た方々が境内に溢れていても、また、国道を独り黙々と歩いていても、春の、ここ四国路では、あたかも舞台演劇を見ているがごとく、まったく、違和感がありません。

「臨終の姿」で、バスから降りて、お参りして、納経して、またバスに乗って、次の札所に…。
「臨終の姿」で乗り合わせた方々は、こうして、四国四県・八十八ヶ所のお寺を巡っていきます。
それぞれの「臨終の時」は、違うでしょうけれど、臨終への「準備」に、こうして、お遍路している方々が、この春先には、どっと繰り出して来られるのです。

これが、四国路の春です。
春の水田。20090402。 2009/04/06
久しぶりに、県南(徳島県・阿南市)へ行ってきました。
毎年、この時期に、春の山と、春の小川が見たくなるのです。

山々の新緑が美しく、その中で所々、竹やぶの淡い緑が、なんとも言えない春の香りを広げていました。

田植えを待つ水田の水面が、春の日差しに照り輝いていました。

今年もまた、四季折々が始まります。
あっぱれ 棟梁 2009。20090323。 2009/03/23
【写真は、徳島新聞の記事を参考にしています】

今年も「あっぱれ棟梁」の表彰がありました。

徳島県の公的事業の中で、私が一番最高に賞賛している事業です。
これは、素晴らしい事業だ、あっぱれなり、と誉め称えている事業です。
建築・建設の分野で、特に「大工」さんで、その伝統的な技量に優れた方を選りすぐって、「あっぱれ」と表彰する事業です。

毎年、このように表彰された方々を見るたびに、日本の「技」が「絶えていないこと」に、大安心します。

近代の建築物には、鉄とコンクリートが大量に使用され、結果、巨大な高層ビル群が出現しました。東京の新宿などは、「近代的」な都市に変貌しました。

多くの人々が出入りする職場として、店舗として、その存在「群」もまた素晴らしい景観ではありますが、京都や奈良のお寺や住居・店舗などの木造建築物は、やはり、日本の建物「群」として、いつまでも絶やすことなく、存在して欲しいと願っています。

そのためには、やはり「人の手」「技法・技術の手」がなくてはなりません。

日本の風土に合った建物を建てて、修理・修繕して、維持していくことに、もっともっと気を使いましょう。

それにしても、旧吉田茂宅が全焼したのは、まことに残念であります。
近所の神社の一番桜です。20090322。 2009/03/22
毎週の第4日曜日、朝9時から、近所の神社の掃除をしています。

今朝は、境内の草抜きをしました。

鳥居の両端にそれぞれ、樹齢が50年余りの桜がありますが、その他に、5本の桜があり、その中の一本で、この一番桜は、まだ樹齢が15年くらいでしょうか、今年は早々に開花しました。

いつもは4月10日前後が満開の見ごろなのですが、今年は、開花は少し早くなりそうです。

境内の桜が満開ともなりますと、鳴門の神社の中でも、引けをとらない、見事な春景色となります。

あと少しで、春、爛漫です。
一番桜 開花です。20090321。 2009/03/22
鳴門市運動公園の桜が開花しました。

この桜は、この公園の中で、一番に咲き始めます。と同時に、ここ鳴門に、一気に春の訪れを感じさせます。

あと一週間もすれば、この公園では、春の宴のグループで満開色となります。
中学校 卒業式 20090313。 2009/03/13
本日、平成20年度鳴門市の中学校の卒業式がありました。

激動の時代が到来する中、義務教育の課程を終了して、これからは、個々の道を歩み始めます。
式典の中の校長先生の式辞、そして、在校生の送辞や卒業生の答辞にありましたように、これからの前途をコツコツと真っ当に切り開いて行って欲しいと、願うばかりであります。

在校生の「蛍の光」に三年間の様子が思い浮かび、卒業生の「仰げば尊し」に三年間の感謝とこれからの自己の人生の道を思い描き、そして全員が合唱した「校歌」に、集まりて散ずる「人生、一期一会」の喜びと悲しみを感じたことでしょう。

どうかこれからも、両親を愛護して、知り合った周りの人々を大切にして、自分の心身を大事にして、日々、暮らしていってください。

そして、何年か後に、また元気に再会できますように、将来の同窓会が晴れやかに開催できますように、祈念しています。
鳴門あそびリンピック 2009。 2009/02/17
今年も、鳴門あそびリンピックを開催しました。

平成21年2月14日、鳴門市・林崎小学校の講堂で、子どもたちが約150人、保護者が約40人、高齢者が約60人余り、集まって、剣玉、木ゴマ、一分間豆移し、一分間紙バクダン、お手玉の「記録」を競い合いました。

子どもたちは、各コーナーで、地域の方々から「コツ」を教えてもらいながら、真剣に挑戦していました。

毎年、参加している子どもたちは、昨年の自分の記録を更新しようと、日頃から練習しています。特に、木ゴマや剣玉は、人気があります。

保護者や高齢者の方の中には、昔に「板について」いる方もいて、子どもたちと楽しく「交流」していました。

これを「きっかけ」にして、益々、地域の中での「交流・コミュニケーション」が広がって、日頃から気軽に「挨拶を交わし」、地域の防犯・防災につながれば、との願いを込めて、平成5年から行っています。
平成21年 謹賀新年。 2009/01/02
新しい年を迎えまして、おめでとうございます。

ここ何年間か、社会的に、異常な事態が起こっています。
偽装、詐欺、強盗、恐喝など、悪の限りが続いています。

特に、毎日、毎日、殺人事件が起こっています。
親が子を、子が親を、また、何の関係もない、行きがかりの人を傷つけたり、殺したり……。

この現象は何を意味しているのでしょうか。

にもかかわらず、この日本国社会を「引っ張っている国会(国会議員)」は、自分たちの周辺のみを眺めているだけの様子です。

すでに、貨幣市場経済社会の「歪み(ひずみ)」・「限界」に、大半の人が気づいています。

では、どうすればいいのでしょうか。

今年の、私のテーマです。社会全体のテーマです。

今年も、よろしくお願いします。
平成20年度 第4回定例会。一般質問の要旨。20081206。 2008/12/06
今回は、会派「輝(かがやき)」の代表質問者として、12月10日(水)の午前10時から、質問します。


【質問の要旨】

@鳴門市の財政・業務状況について。
  ・一般会計ベースの財政状況について
  ・公営企業(市バス、競艇、水道)の業務状況について

A鳴門市の行政組織体制について。
  ・組織・機構の見直しについて

B鳴門市第5次総合計画後期基本計画について。
  ・5つの重点施策について


【具体的な内容】

★@平成20年度上半期の「問題点」の分析と、下半期への「具体的な課題」について

★A組織・機構の見直しの「基本的な姿勢(考え方)」と、その「目的」について

★B「地方分権」についての考え方について
   安心・安全な鳴門づくりに向けての「具体的な事業」の、これからの「あり方」について
    ・鳴門市の下水道事業の「第2期事業区域」について
    ・市内の医療体制について(鳴門病院の存続態勢について)
               (鳴門市内の産科、外科等について)
    ・鳴門市の文化の継承について(鳥居記念館、古墳など)
銀杏の紅葉 B 20081126。 2008/11/28
これは、四国八十八ヶ所の第5番札所・地蔵寺の銀杏です。

表札には、樹齢が約800年との案内があります。

なんと、約800年です。西暦では、1200年頃です。

その頃と言いますと、平安時代の終り、鎌倉時代の始まりの頃です。

白河法皇の院政期を経て、保元(1156年)・平治の乱(1159年)があり、平清盛が太政大臣となり(1167年)平氏が執政を取り、武家政治が始まりました。
そして平家が滅亡したのが1185年(文治1年)、建久3年(1192年)源頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開きました。

その頃なんですね。この銀杏が、芽吹いたのは……。

ずっと、世の中の営みを、静かに見守って来たのでしょうか。
銀杏の紅葉 A 20081125。 2008/11/28
これは、四国八十八ヶ所の第19番札所・立江寺の銀杏です。

この銀杏は、夕方4時前の夕陽を浴びて、金色に輝いていました。

この時間帯でも、白装束の多くのお遍路さんが、お参りをしていました。

長年、人々の行き帰りを見詰めて来た銀杏です。
銀杏の紅葉 @ 20081119。 2008/11/28
私は、銀杏が大好きで、この時期になりますと、県下の巨木を見て回りまっています。

これは、徳島城公園の銀杏です。

高校生の頃、この公園を散歩しましたが、この古木は、あの頃から全然変わらなく、毎年、このように紅葉して、そしてしばらくすると、その根元は黄色い絨毯となります。

冬は、もう間近です。
鳴門教育大学・文化祭。20081109。 2008/11/18
今年も、鳴門教育大学の文化祭が、開催されました。

しかしながら、残念ながら、大学の茶道部が、この四月から、部員の激減によって、休部になったことにより、茶会を開けませんでした。

創学以来、20数年、一時は、40名以上の部員がいた、伝統ある茶道部も、ここ数年にわたり、新人部員がなく、ついに休部となりました。

キャンパスのプラタナスの紅葉が、今年もまた、美しい。

集まり、散じて、人は入れ替わり、木々は、新緑から、紅葉へ。

巣立っていった、茶道部の学生諸君、君たちは、今、立派に教壇に立っていることでしょう。

後生の育成に、励んでください。期待しています。
三世代ふれあいフェスティバル。20080927。 2008/11/18
今年で、第14回になります。

平成20年9月27日、林崎小学校の講堂に、地域の三世代の皆さんが参加して、「ふれあいフェスティバル」を開催しました。

参加人数は、子どもが116人、保護者や地域の高齢者が50人。

種目は、木ごま、剣玉、おはじき、お手玉、紙飛行機・飛ばし、ビーンボーリング、輪投げ。

各コーナーにおいて、それぞれが「名人」に、その「コツ(やり方)」を教えてもらいながら、触れ合いを通じて、親しくなって、子どもたちも大人たちも、「お互いの顔と名前」を覚えることから始まり、地域の安全と安心な環境づくりを進めて行こう、というのが、一番の「目的」です。

ワイワイガヤガヤと、楽しく過ごしました。

最後に、全員で、紙飛行機を作り、全員で一斉に飛ばしました。
世の中、何か不安定です。20081024。 2008/10/24
大統領の選挙を控え、金融不安が続くアメリカから、世界に向けて『先行き不安』の空気が流れています。

日本では、衆議院議員の解散・選挙の時期を迎えつつも、同じような『先行き不安・不透明』の中で、毎日が過ぎていっています。

貨幣経済の現代では、金融関係に問題が生じれば、多くの国々において、あらゆる機関の正常な営みが乱れてしまいます。

このような状態が長く続きますと、人間存在に一番大切な『食料の自給』について、改めて、その重要性が問われるようになります。

国内の経済が不安定になり、生産性が落ちたり、就業率が低下したり、家計の収入が目減りしたりしてくると、『まずは、毎日、食べられること』が目前の課題となります。

国家間単位では、他国に食料をまわす余裕がなくなり、家計単位では、余分な食料費を抑えつつ、質素倹約に努めるようになります。

21世紀になってから、世界中で、ほとんどの分野において、いろんな不安定要素が表出してきているように見えますが、むしろ、行過ぎた『虚構の構図』が露見して、本来の『人間社会の営み』に是正されつつある、と思います。

特に、食に関しては、自給自足、自産自消の流れを、国や市町村の分野で、どのようにスムーズに形作っていくのか、そして、食の流通に関しては、休耕田、後継者、価格の問題をどのように解決していくのか、我々にとって、大きくて、一番大切なテーマが、明確に姿を現してきています。
残暑厳しき折…、水不足。20080914。 2008/09/14
まったく、日中は、蒸し暑い日々が続きます。

先日、徳島の池田から、四国八十八ヶ所・雲辺寺、香川に抜ける県道8号線を走りました。

このところの渇水で、山中の「ダム」は底が見えて、周辺の木々は、水不足の姿で、所々の松の木は、赤く変色していました。

全国的に、局地的な大雨が振り、落雷があり、異常な天候が続いています。
まさに、地球規模の「自然環境」対策が、早急に望まれる感がしました。

何十年か前、「機動戦士ガンダム」というアニメがありました。
人類が地球を汚染して数世紀、宇宙空間に「スペースコロニー」を建設して、多くの人類が、そこへ移住して、地球を「人類のいない状態」にして、再生させようとする、壮大なテーマのアニメでした。

ガンダムなどのプラモデルが流行り、まさしく子ども向けのアニメではありましたが、当時からも、地球規模の「自然環境」の大切さが切実に表現されていました。

物質文明化・貨幣至上主義から、精神文化を中心にした社会への「再・変換」こそ、今、必要である、と感じます。

ここ百年余りで、使い果たしてきた地球資源を、もう一度、循環させ、地球という生命体が、正常な健康体に回復するように、身の周りの些細な事からでも、気を配っていくことが、今、必要である、と強く感じています。
今年の夏の本。20080820。 2008/08/20
こんなに「古典」が面白いとは…。

古事記、日本書記、万葉集、竹取物語、伊勢物語、土佐日記、蜻蛉(かげろう)日記、枕草子、更級日記、今昔物語集、梁塵秘抄、方丈記、徒然草、御伽草子、などなど。

私にとって、古典は今まで、大学受験用の知識だけでした。枕草子にしても、伊勢物語にしても、受験対策として読んだ程度でした。

先日、本屋で、文庫本ですが、最近の解説が付いた徒然草を手にしました。
サービスで置いてある椅子に座り、パラパラと読み始めると、受験用に読んだ部分(段)など、小さい・些細なものです。
全体を通して読んでいくうちに、これが又、面白い、面白い。

へえぇぇ、と思いました。こんなに面白いもの(古典・文学)だったのか、と感心したのです。

それからは、県立・市立・大学の図書館から、あれもこれも借りてきては、読み耽っています。

まぁ、皆さん、お試しください。枕草子でも、徒然草でも、方丈記でも。

還暦を前にして、夏の読書に、新たな分野ができて、感激しています。

新しい「船出」、新たな「目的」が見つかったようで、楽しゅうございます。

今年の夏の本も。
夏の本。20080820。 2008/08/20
今を去ること、40年前の夏、この夏も暑かったです。

大学受験用の本を机に積み重ね、頭にはタオル鉢巻、左手には団扇(うちわ)。

タオルの間から顔に流れて、机の上や膝の上に滴り落ちる汗を見て、快感でした。
流した汗の分、頭に入っているんだ、と確信していました。

あれから、40回もの、暑い夏を過ごしてきました。

夏こそ、読書に最適の時期であると、今でも感じています。
暑い夏。20080814。 2008/08/14
高校野球、北京オリンピック。北島選手、凄いです。

連日、感動しています。

そして、徳島では、阿波踊り。
県の内外から、熱狂的な人たちが、連日、繰り出して、踊っています。

また、それを観る人たちも、一体となって、感動しています。

人の和・輪が、徳島で、甲子園で、北京で広がっています。

感動の夏、続きます。
過ぎ去る景色。20080808。 2008/08/08
ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」。

城山三郎の「湘南、海光る窓」。

その年の夏、初めて、弱弱しい蝉の声を聞いた日から、朝の早い時間からでも、その声が騒騒しいような合唱となる盛夏の頃までの間に、いつも手にする「本」が、この二冊です。

去年の盛夏の頃にも、今年の桜の時期にも、初雪の便りのあった日にも、この二冊を読んでいました。

季節と人生と、季節と出会いと、季節と景色。
しみじみと味あわせてくれる「1節」が、この本の中にあるのです。


【あといくたび春を迎えることであろうか。あと十度か十二度といえばあまりいい気になりすぎているといえるかもしれない。それなら、せめてあと五、六度は春を迎えたいと思う。五、六度でも随分の長い年月だ。…】
               「ヘンリ・ライクロフトの私記」


【何気なく見過ごしてきた風景を、あるとき突然、見直す。人生についても、人間についても、きっと同じような再発見がある。…、もっともっと気ままに人生の拾いものにめぐり逢いたいー。】
               「湘南、海光る窓」


年々、同じ季節は廻ってきても、年々、人も自然の草花も同じではないように、過ぎ去る「もの」の大切さを想うのです。

              2008年 8月 盛夏の日に
夏の四国八十八ヶ所巡礼。20080806。 2008/08/06
(これは、五番・地蔵寺の銀杏の大木です。)


今から33年前、当時25歳の私は、73歳の父と、四国八十八ヶ所巡礼に出かけました。

ガンの手術を終えたばかりの父は、私に何を残したかったのでしょうか。

  「八十八ヶ所を巡りたいんじゃ」

私を、この旅へと誘ったのです。

当時はまだ、案内板も少なく、あちらにフラフラ、こっちに迷い込みを繰り返し、山道は舗装されていない所が多く、急傾斜の細い道で対向車に出会ったときには、まさに、命がけの運転でした。

日帰りしたり、民宿に泊まったりで、約3ヶ月がかりで巡りました。

父と2人きりの『思い出の旅』でありながら、当時の若い私には、そのような深い意義も感じられず、納経帳に「判」をいただくだけの、性急な旅を続けました。
それで、印象に残った景色は少なく、今となっては、それだけが残念なこと、後悔することです。

ただ1つだけ、人々の願いの景色・風景は、今でも強く印象に残っています。
家族のこと、親戚や友人のこと、ご近所の人のことの、数々・色々な艱難辛苦を消し去りたまえと祈願する人々の姿が、脳裏に残っています。

今日もまた、多くの方のお参りがありました。

それを見守る巨木があります。

   「お参りさせていただいて、感謝申し上げます」

人々が祈れば、その上で巨木が応えていました。

   「あなたの願いが叶うよう、私も大きく枝を伸ばして、祈っています」。
広島 原爆投下の日。20080806。 2008/08/06
63年前の今日、8月6日・午前8時15分、広島に原子爆弾が投下されました。

戦争を早期に終わらせるためだった、とアメリカは言っていますが、当時の日本に、戦争を長期化させて、起死回生を図れる戦力が残っていたでしょうか。
続いて、長崎には8月9日、原子爆弾が投下されました。戦意を喪失させて、早々に降伏させるためだった、と言っています。
いまだに、原爆症が残っていて、その救済策は「後手・後手」です。

ベトナム戦争で、ジャングルのゲリラ戦に疲労したアメリカ軍は、ジャングルを除去しようとして、空中から「枯葉剤」を散布しました。
大きく報道されませんが、その後遺症が残っています。

今日の「原爆の日」の平和記念式典で、広島市の秋葉忠利市長は、

  「核兵器は廃絶されることにだけ、意味がある」

と述べました。

広島の原爆記念館で、被爆した方々の写真を見れば、人間ならば、国籍を問わず、「何と…、むごい」と、絶句するはずです。

いまだに、核兵器を改良しつつ、生産している国があるならば、その国自体、『地球上に存在する理由と目的はありません』。
これは、人間ならば、誰が考えても、誰に聞いても、共通の意見でしょう。

しかるに、なぜ…、いまだに…、核兵器が存在するのでしょう。

   愚かなり、貨幣経済大国・軍事大国の指導者達よ。
暑中お見舞い。20080721。 2008/07/21
今年の夏、本番となりました。

皆さま、暑中 お見舞い 申し上げます。

近所のお宮さんでは、2日前から、今年の蝉が、本格的に鳴き始めました。

向日葵や朝顔、そしてお昼には、冷やしソーメンと、夏の風物詩が出揃いました。

2008年、平成20年の【夏】を、満喫しましょう。
落雷あり。その2。20080709。 2008/07/09
やっぱり、デスクトップのパソコン本体もダメでした。
ショックです。
娘の小型パソコンは、カバンに入れていたので、このように無事でしたので、そのパソコンを一時拝借しています。

なんやかやと、修復や確認に時間を取られて、イライラが溜まっていきます。

あの落雷程度(ご近所で火災もなく、生命に異常がなかった様子なので…)、こんなに日常生活のリズムを壊されるのですから、大きな地震や津波など、その他の風災害、自然災害では、どのような『ストレス』になることでしょうか。

防災対策といいますが、なかなか日常では、実感ないものです。
落雷あり。20080708。 2008/07/08
5日、早朝、我が家のすぐ近くの電信柱に、落雷。

私は、その30分ほど前に、小振りの中、車で家を出ましたが、すぐに土砂降りになったものの、家に引き返す時間がなく、そのまま出かけました。

ワイパーも効かないほどの大粒の雨、激しい雷が続きました。

家に居る時は、特に、この時期のこのような天候の時は、家庭内の電化製品の「コンセント」を次々と抜いていくのですが、あの朝は、そのような「ひらめき」もなく、ただただ『凄い、雨やなぁ』と、運転していました。

夕方、帰ってみると、被害甚大でありました。

≪テレビ2台、ビデオデッキ1台、電話本線、風呂の温度調整機、パソコンのルーター≫
幸いにも、パソコン本体は、無傷でした。

我が家は、エアコンを使っていませんが、ご近所では、全部のエアコン、テレビ5台、そのうち1台は底部が焦げていた、とのことで、第二次災害の【火災】が発生しなかっただけでも、ホッとしています、というお家がありました。

当日、昼まで、停電していたようで、その間に、四国電力が回ってきたらしいのですが、その時には電気が来ていませんので、どの製品が被害を受けたかどうか、調べようもなく、電力が回復してから、ありぁテレビが、エアコンが…、ということでありまして、四国電力の対応の【マズサ】が見えました。

加えて、土曜日から、今日の火曜日までに、市の防災課や消防署からの『見回り、調べ』は、【全く、無く】て、地震や津波などの自然災害と同様に、雷の災害によって、火災の発生や、人体への影響【直接的な落雷や光と音によるショック状態】も有り得るのだから、この点、やはり、行政の《防災対策》などは、【机上の空論】かと…。

阪神淡路大震災の際にも、国や県の対策が【後手、後手】に回ったりしたことを思い返せば、どこに住んでいても、『納税』して、国民・県民・市民・町民・村民でありながら、【何のための、納税なのか】と…。

自然の猛威にひれ伏すと共に、人工の組織{国や県や市町村などの行政組織}が、いかに、架空の、軽々しい組織であるのかと、思い知ってしまいました。