四国霊場 世界遺産に向けて 20141225。 2014/12/31
今年は、四国霊場 開創1200年であります。

今、この四国霊場を世界遺産に、という声が大きく高まってきています。

なぜ、(人類の宝物としての) 世界遺産に ?

歩いてみれば……、お参りしてみれば……、祈ってみれば……、解ります。

いくら文明が発達しようとも、いくら医療が、経済が、福祉が、充実していっても、
それらだけで、生きていくうえで最も大切な「心の安らぎ」は、解決できません。

心は、ころころとして、生きている間は、日々に乱れ、悩み、壁に当たり、石につまづき、変化し、安心として収まることは、ありません。

その人々の、生きる上での苦悩を承知して、空海上人は、この四国霊場を開創されました。

身近に、このような有り難い霊場が、こうして 1200年間も「あること」に、感謝します。

世界遺産に、なるもならずも、人々に「霊場」の存在(価値、意義)を、大きくアッピールできましたら、嬉しい限りであります。
大窪寺 四国八十八ヶ所札所 20141125。
 2014/12/31
ここ大窪寺は、四国霊場88ヶ所の「八十八番札所」です。ここを訪れて、お参りして、四国の巡礼は終了です。
この後、もう一度、一番札所の霊山寺に向かい、お礼を申し上げて、その後、高野山にお参りして、結願となります。

この日、大学時代からの朋友、浜松在住のM氏が、「歩きお遍路」をして、ここ大窪寺に辿り着きました。
小雨の中、色とりどりの「紅葉」の落ち葉が、参道を敷き詰める中、彼は、山門から本堂に向かい、深々と頭を下げて、ゆっくりと下りてきました。
石段を下りながら、私を認めた彼は、ニコッとして、合図を送ってきました。

周りの休憩所には、旅支度を解いた、晴れやかなお顔の方々が、あちらこちらで、談笑していました。
歩いて回っているうちに、後になり、先になりつつして、親交を深めたのでしょう。
見ていて、こちら(私)が、嬉しく優しくなる、心地良い風景です。

ありがとうございます。  合掌
秋祭り 20141012。 2014/10/13
スーパー台風と呼ばれる台風19号が沖縄、奄美大島の辺りを、ゆっくりと進んでいます。多大な被害が生じているようです。

12日現在では、ここ、徳島の鳴門では、暴風雨の圏内に入っていません。

例年のように、弁財天の市杵島姫神社の「秋例大祭」が、執り行われました。

五穀豊穣、地域の安全、氏子の毎日の健康生活を、願い、見守っていただいている「氏神さま」が、神輿に乗って、町内を一巡してくださいます。

どうか、今年一年も、平安でありますように。
人の「力」。20140522。 2014/06/10
震災の様子を撮った写真展で、次のような パネルがありました。

当時の緊迫した様子が ひしひしと 伝わってきます。

各々の「役(使命)」を持った、いろいろな立場の人が、

     この難局に立ち向かっていったことがわかります。



『人として生まれ
 
 男として育ち

 自ら警察官の困難な道を選んだ。

 その諸君だからこそ

 預けられた任務である。


 現場は困窮している。

 助けを求めている。


 必ず任務を果たせ。

 お役に立て。


 現地では自活を第一とし、

 被害者以上の処遇を求めてはならない。


 そして、全員無事に帰任せよ。

 任務を果たし、全員の無事の帰還を待っている。』

            大分県警 出発式の言葉


震災で亡くなった方々の無念な思い、

救助に向かう者の心構え、

人は、試練の時にこそ 人である。

無私の 無欲の 人である。

辛いけれど 嬉しい、悲しいけれど 暖かい、

やはり 人は いい、人って 支えあい 繋がり合っている。
東日本大震災から…いわき市の状況。20140522。 2014/06/10
福島県いわき市に、視察に行ってまいりました。

これは、海岸線にあった何かの店、コンビニでしょうか。いまだに 鉄骨の柱だけが 残っています。


いわき市の状況

平成23(2011)年 3月11日 午後2時46分ころ

三陸沖で マグニチュード 9.0 の地震が発生。

被害状況  平成26(2014)年 2月1日現在
    死者・行方不明者 446人
    住宅被害   9万5541棟

全力で 復旧に向けて、進んでいましたが、まだまだ です。

何とも歯がゆいのですが、まだまだです。
四国霊場 開創1200年。19番 立江寺。20140508。 2014/06/10
四国88か所霊場 開創1200年。

数えきれないほどの方々が、回ってきました、回っています。
空海さんは 何と凄い場を 残してくれたのでしょうか。

徳島は 発心の道場
高知は 修行の道場
愛媛は 菩提の道場
香川は 涅槃の道場

白装束をまとい、金剛杖を手に、「同行二人」の気持ちで 四国の大自然の中を、多くの善男善女が へんろの旅を 続けています。

私は、父と一緒に、お遍路してきました。

始めた当初は、父が73才、私が25才。

結婚後も、子どもが出来た頃も 家族全員で 回りました。

あれから 40年。父は、平成4年に90才で他界しましたが、残った家族は、まだまだ 回っています。

ありがたいことです。
ツツジ 満開。20140504。 2014/06/10
満開です。

見事に 満開です。鮮やかに 満々と 咲いています。

目を近づけると、小さな 一つひとつの花が、つぶらながらも ちゃんと咲いています。
何十万、何百万の花々の 寄り集まりです。

私たち人間社会も このように集まっていても、個々がしっかりしていてこそ 全体の「美しさ」が保たれます。

いつか枯れ いつか散る花ですが、私たちに 「和と輪」の大切さを教えてくれています。


 
藤の棚 林崎小学校。20140423。 2014/06/10
今年も 咲きました。小学校の「藤」です。

私が入学以前(もう、55年余り前)から、この様な「偉容」を現していました。

当時のままにあるのは、この「藤の棚」と、正門の「石柱」です。

1世紀以上の歴史ある伝統校、卒業生は「14166名」です。

いつまでも、私たち卒業生の前途を見守ってくれています。
桜 弁財天のお宮。20140403。 2014/04/23
今年は、少し開花の時期が、何日か、早かったようです。

今年も見事に咲きました。

境内が、桜色に染まっています。

お参りの方、通りすがりの方、また、わざわざ訪れた方、多くの方々に褒められて、今年も、誇らしげに、咲ききっています。
淡路島七福神めぐり。べんてんさん。20140326。 2014/04/23
神話の「ブーム」です。

昨年の伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮から、始まったようです。
古事記や日本書紀の本・写真集が本屋の店頭にズラリと並んでいます。

神話といえば、やはり淡路島です。

日本の国を創った「イザナギ」「イザナミ」が最初に生んだ島が、淡路島、と言われています。
淡路島には、四百余りの寺社があるそうです。その中で、七福神信仰は、有名です。

特に、私の在所の地名「弁財天」にちなんで、大広山・智禅寺、弁財天(知恵の神)は、とても親しみのある処です。
ご本尊は、大日如来像です。心、軽やかに、爽やかに、境内を巡ってまいりました。
高田屋 嘉兵衛。20140326。 2014/04/23
淡路島の高田屋嘉兵衛の記念館に行ってきました。

淡路島生まれの高田屋嘉兵衛(1769〜1827)。

北前船で、函館(蝦夷地の産物)と兵庫の物資を運び、売りさばいて大きな利益を上げた。

1812(文化9年)、国後島沖で、ロシア船に拿捕(だほ)され、連行された。
嘉兵衛は、函館に戻って、幕府が逮捕していたロシア船長・ゴローニン中佐他、八人の釈放を幕府に訴えた。
その後、ゴローニンは、両国民の歓呼の中、無事にロシア側に引き取られた。
   以上、資料「開拓の群像」より。

作家・司馬遼太郎が「菜の花の沖」という小説で、この人物を描いています。
かの当時、貿易(生活物資の交流)を通じて、国家の友好交流にまで繋げた人でした。

国内でも、国家間でも、様々な「問題・対立」が生じていますが、文化と経済の交流は、本来ならば「人々の、日々の幸せ」のために必要な、大切な『事業』であります。

毎日、多くの事件・事故(韓国のフェリーボートの転覆など)が起こっていますが、どうか、平穏で安心安全な日々でありますように、祈りつつ、嘉兵衛とゴローニン、二人が並ぶ像を見上げてきました。
十輪寺。20140216。 2014/02/20
徳島県鳴門市大麻町萩原に所在する寺院です。

すごい寺院なんです。

山号 説法山
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩
創建 (伝)白雉2年(651年)
開祖 (伝)智光律師
正式名 説法山 宝珠院 十輪寺
別称 談義所
四国八十八箇所一番前札所

この『談義所』というのが、凄いことなんです。

以下、参考辞典から転記します。
平安時代初期の大同(806年-810年)に空海(弘法大師)が、智光律師の伝説を聞き及び、地蔵菩薩を彫ってこの地に安置したと言われる。その際に、僧侶を集めて説法を行い四国霊場の談義をしたとされる。そこで十輪寺は「談義所」と呼ばれるようになった。

四国八十八箇所の、いわば『ゼロ番札所』ということでしょうか、空海さんの踏みしめた「境内」、空海さんの語った「場所」、すごい聖地です。

鳴門市には、すごい所があります。
パゴダ。20140219。 2014/02/20
眉山のパゴダです。

説明文を転記します。

『パゴダ(仏塔)は、かつてビルマ戦線で散華した戦友をしのび、恒久の平和を願うシンボルとして、徳島県ビルマ会により、昭和33年に建立された。
高さ25m、円錐形ドームのビルマ独特の様式で、国内のパゴダの中では、最大級唯一のもの。

塔内には、仏舎利(お釈迦様の遺骨)が祀られ、戦没者の英霊が安置されています。
この仏舎利は、当時のウ・ヌービルマ首相より贈られたものです。

このパゴダは、平成元年に徳島県ビルマ会より徳島県仏教会に移管され、現在に至っています。』

ここ眉山の山頂に、パゴダがあり、世界の平和を願って、仏舎利が奉納され、英霊が祀られていること、素晴らしいことです。

山頂から、多くの人々の「幸せ」を見守っているかのようです。
眉山の歌碑。20140219。 2014/02/20
眉山に登りました。

『眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山
       かけて漕ぐ舟 とまり知らずも』 船王

いい山です。多くの方々が、ハイキングに来ていました。

徳島平野(徳島市の高速インター川内)から、吉野川を手前にして、山を展望すれば、まさしく「眉のごとく」見える山です。

古来より、多くの人々が、名残を惜しみ、振り返り、この山を見ながら、阿波を去り…、
また、多くの人々が、この山を目印にして、遠くから見定めたとき、阿波に着いたとの感慨が湧き出たことでしょう。

  かけて漕ぐ舟 とまり知らずも……

人は、生まれ、人は、漂い、人は、死ぬ 「とまり」は、どこなのか、知らない、解らない……。

何となく、感傷に浸ってしまいました。
鳴門市社会福祉大会。20140218。 2014/02/19
第47回鳴門市社会福祉大会が開催されました。

ここで、「子どもの街をつくる会」が『大会長表彰・ボランティア功労賞』を受けました。

主催は「社会福祉法人・鳴門市社会福祉協議会」です。
参加者は、社会福祉関係者、民生委員・児童委員、社会福祉施設の役職員、学校・PTA関係者、行政関係者・各種諸団体。

地域社会のつながりの希薄化など、福祉課題や生活課題の解決に向けて、取り組んでいくことを誓い合いました。

記念上映として「先祖になる」が上映されました。撮影・チーフカメラマンの福居正治(鳴門市大津町出身)さんが講演されました。
東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市を舞台にした、77歳の男性の被災後の生活を一年半にわたり、撮影したドキュメンタリー映画。地域とは、日常とは、を考える機会となりました。

ありがとうございました。
鳴門あそびリンピック2014。20140215.。 2014/02/15
今、ソチ冬季オリンピックが開催されていますが、ここ鳴門市の林崎小学校の講堂でも、毎年恒例の「鳴門あそびリンピック」が、盛大に開催されました。

種目は、けん玉、木ごま、お手玉、紙バクダン、空き缶積み、豆皿移し、の六種目です。

幼稚園児から六年生までが参加して、地域の方々(子どもの街をつくる会の方)と共に、挑戦しました。

木ごまやけん玉は、一・二年生から参加しつつ、年々「コツ」を覚えて、六年生ともなると、上手になります。

ここ何十年かは、ファミコンや携帯電話ゲームが蔓延していて、集団で、手先を使った遊びが衰退していますが、やはり、昔ながらの「遊び」は、みんなで楽しみながら、夢中になれるものであり、いつの時代の子どもたちにも受け入れられると思いました。

平成4年(1992年)から始まりましたので、今年で24回目になります。
名月と妙見山。20140214。 2014/02/15
我が家の近くにある「妙見山」にかかる月です。

ここ妙見山は、標高は低いですが、かつて阿波の出城があり、東北部の要衝の地でありました。

北には鳴門海峡を望み、北西に阿波・讃岐山脈、南西には、四国三郎・吉野川が開けます。

鳥居博士を記念して、旧岡崎城を模した鳥居記念博物館が建っています。この博物館は、県営で、耐震工事が完了すれば、鳴門市に移管されます。
今後、この建物をどのように活用していくのか、見事な月が問いかけ、見守っています。
鼠径ヘルニアの手術 003 20140128。 2014/02/02
1月28日(火曜日)、午後1時過ぎから、手術の準備が始まりました。

青い「手術着」に着替えて、両方の二の腕に、それぞれ注射をすると、もう意識は「覚えなく」なっていました。

 手術は、『腹腔鏡(ふくくうきょう)手術』です。

へそに直径12ミリ、腹部2ヶ所に5ミリの穴を開けて、内視鏡の1種である腹腔鏡や鉗子などを挿入して、モニター映像を見ながら手術。
鼠径ヘルニアは、四つの部位で起こるけれど、この手術では、メッシュと呼ばれるポリエステル製の固定具を患部の穴に当てるだけでなく、この四つの部位全体を覆うので、再発がほぼない、との利点がある。
以上のこと、手術前に、坂東先生から、十分に説明を聞いていたので、安心して、手術に向かいました。

手術室に入る前に、家族が声をかけてくれて、私も「えいえい」との返事をしたそうですが、全く記憶にありません。
手術室で、全身麻酔などの処置があったようですが、それも、全く意識にありません。

気がつけば、口に酸素吸入器のようなマスクがあり、天井の明かりが見えました。

「今から、手術ですか?」
「いいえ、終わって、病室に帰ってきてますよ。」
「あれぇ、いつの間に、……」

その日の晩は、なかなか寝返りも打てなくて、一時間毎に、目を覚ましました。腹部に鈍痛が走ります。

何とか、翌日の朝を迎えて、すぐに通常の朝ご飯を完食して、館内の廊下を「2500歩」軽い調子で、ゆっくりと歩きました。

そして、28日の手術から二日目、30日の午後4時過ぎに、無事、退院してきました。

31日は、春のような暖かい日和で、近所の運動公園の芝生の上を3000歩、ゆっくりと歩きました。

まだ、車の運転は止められていますが、このような経過で、検査、入院、手術、退院ができて、誠にありがたいことと感謝しています。
医学の日々の進歩の「凄さ」を実感しています。

ここに、飛び込んできた、ビッグなニュースが『万能細胞「STAP(スタップ)細胞」』のニュース。

日々、毎日、毎秒、いろいろな所で、様々な人が、何かしかの『事』をしてくれています。
朝、新聞が届き、水道栓をひねったら水が出て、顔が洗えて、道は舗装されていて、店には多くの品物が並び、日々が、このようにして、過ぎていきます。

意識すれば、自分一人では「何もできない」毎日の様子が見えてきます。

意識すれば、すべてのことが「まわりの方」のお蔭であることが分かります。

支え合って、声を掛け合って、笑い合っての日常が、いかに大事なことなのか、感謝、感謝の気持ちいっぱいになります。

ありがとうございます。
鼠径ヘルニアの手術 002。20140128。 2014/02/02
手術の前日、2014年1月27日(月曜日)、午前10時、鳴門病院の入院受付に行きました。

朝、我が家で、いつものようにご飯と納豆、味噌汁を十分に食べてから、出てきました。

入院後の昼食と夕食は『重湯』、その後は、絶食が続きました。

絶食といっても「飲料三本」がついていました。
鼠径ヘルニアの手術 001 20140128。 2014/02/02
「鼠径ヘルニア」とは、腸が股の付け根部分に飛び出してくる病気です。

昨年(2013年、平成25年)のいつ頃からか、秋の頃でしょうか、左下の股の付け根に「ちょっとした ふくらみ」を見つけました。

特に意識しだしたのは、11月の選挙の頃ですが、そのままにしていました。

12年24日、母を皮膚科と眼科のお医者さんに連れて行きました。皮膚科は乾燥肌の治療、眼科は目を強く擦った為にかぶれている治療です。
そこで、私自身も「やはり、異状には 早い対処が必要だ」と思い、西條内科に行きました。
西條先生は、即、「ヘルニアです。手術したほうが良い」と勧めてくれました。

12月27日、紹介状を持って、鳴門病院に行きました。
坂東先生が、即、「ヘルニアです。この様になっています」と、図に描いて、詳しく、丁寧に、説明してくれました。
「この日、この日、手術日です。どの日にしますか」

私は、即、1ヵ月後の2014年、平成26年1月28日(火曜日)に決めました。年始は、何かと『行事が立て込んでいる』との理由だけで、1ヵ月先にしてもらいました。
2014年 平成26年 元旦。 2014/02/02
新年 明けまして おめでとうございます。

今年も よろしく お願い申し上げます。

皆さまの ご健康 ご多幸を お祈り申し上げます。

近所の氏神様「市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)」の狛犬さまです。
この弁財天の地域の「安全」を力強く見守ってくれています。
選挙 20131110。 2014/02/02
平成25年11月10日、市議会議員選挙の告示があり、17日の日曜日に投票。

皆さんの力強いご支持のお蔭で、五期目の当選をいただきました。

「鳴門市に生まれ、育って、住んで良かった、という鳴門市になるように、つとめてまいります」
成田山 秋の大祭 002 20131027。 2013/10/29
次には、もち投げがありました。

これまた、恒例ですが、前日の26日(土)、多数の方々が参加して、お餅をついて(つく機械でですが)、袋詰めにしました。

ここ十数年、餅つきと餅投げの行事、両日に参加しています。

五穀豊穣への感謝、地域や会社や家庭の安全への祈り、秋のお祭りは、大事な行事です。

今年は、伊勢神宮、出雲大社の「式年遷宮」の年でもあり、世の中が、平穏に、平安に、収まりますようにと、祈願する年である、と思います。

多くの方のご参集のもと、多くの餅が、空を舞って、善男・善女の手に吸い込まれていきました。

世の人々すべてが、幸い多かれ、と願う二日間でした。
成田山 秋の大祭 001 20131027。 2013/10/29
10月27日(日)快晴、成田山で、秋の大祭がありました。

始まる前に、例年の如く、櫛木獅子舞保存会の方々による、獅子舞の奉納がありました。

その後、お護摩のご祈祷がありました。

多数の善男・善女が、お集まりでした。
秋祭り。20131013。弁財天。 2013/10/15
平成25年度の秋例大祭です。大勢の人が集まってきました。

平成3年の秋祭りから、「出店」を開いています。23回目になります。
以前は、私の小さい頃は、愛媛の西条や新居浜の祭り、岸和田のだんじり祭りのように、この地域(岡崎、弁財天、林崎、北浜、立岩)の秋祭りは、お正月より賑わったものでした。

昭和36年・1961年、9月16日、室戸岬に上陸し、ここ鳴門にも大きな被害を出した 第二室戸台風のため、祭りの諸道具が塩害に遭い、その後、この地域のお祭りの「出し物(屋台やだんじり)」が衰退していきました。

また、境内の「出店」も段々と無くなり、祭りの当日は、「氏子総代」「神輿回し(神輿の町内巡行を担当)」の何十人かの出席で、一気に寂しくなっていました。

そこで、弁財天では平成3年から、子ども屋台や出店を出し、そして、岡崎では平成8年から、境内に飾っていた屋台を、所有者の許可を得て、有志の若衆が担いで、宵宮や当日に町内を練り歩くことになりました。

伝統ある秋祭りの復活を遂げて、かれこれ20年余り。当時、小さかった子どもたちが、成人して、参加してくれています。

町内、地域の良き伝統を後世にまで、確かに、引き継いでいきましょう。

皆さん、お疲れ様でした、ご苦労様でした。
精華幼稚園・林崎小学校、秋季大運動会。20130922。 2013/09/23
秋晴れの大運動会です。

六年生は、最後の運動会、一年生や幼稚園の年少組みは、それぞれに初めての運動会です。

心配していた天候も、すっかりと秋空で、皆さん、日焼けしながら、歓喜溢れる運動会となりました。

恒例の六年生のフォークダンス、親子で、最初で最後のフォークダンスです。
この「親・子」の皆さんが、一生の「友・同級生」として、これからの人生を歩んでいきます。
今日の手のぬくもりを忘れずに、明るく元気に、仲良く、進んでください。

卒業した中学生や高校生の子どもたちも大勢で参加していました。高齢者の方も多数参加していました。

学校行事としての運動会から、地域の「連携・コミュニティー」を形成する一大行事に、なってきています。

これからも、学校を、子どもたちを「中心」とした、地域づくり、まちづくりを進めて行きたいと、強く思いました。
名月。20130919。 2013/09/19
満月です。

海上に、光が広がっています。

鳴門市の岡崎海岸の、名月です。

今日の昼間は、快晴無風。
先日の台風18号の雨の空など、あんな気象もあったのだろうかと、信じられないくらいの秋空でした。

そして、午後6時過ぎからは、まんまるの月が、海の彼方から上がってきました。

美しすぎる満月です。名月です。
秋、晴天の鳴門海峡大橋。20130918。 2013/09/19
暑い、熱い、今年の夏が、いつの間にか、ちょっと秋の様子が見えてきました。

海峡を渡る風が、心地よいです。

轟音を立てて、渦が待っています。観潮船が、渦の端に停止しています。

上に、美しい鳴門海峡大橋が架かっています。

豪快な景色です。美しい景色です。
第19回 三世代ふれあいフェスティバル。20130914。. 2013/09/19
19年になります。

林崎小学校校区の方々が集まって、剣玉・木ゴマ・輪投げ・お手玉・おはじき、などの遊びをしながら、交流を深めました。

老人会、婦人会、民生児童委員、地域の方々、保護者などなど、二百人からの人が集まり、ふれあいを深めました。

最後には、全員で「紙飛行機」を自作して、飛ばしました。

楽しく、有意義な時間でした。

19回です。
二見が浦の日の出。201308。 2013/09/19
今年は、伊勢神宮の二十年に一回の「式年遷宮」の年です。

出雲大社は、六十年に一回の「式年遷宮」の年です。

伊勢神宮は、誠に、流石に、素晴らしい所です。
日本人の「心のふるさと・原点」であります。

古来より、二十年に一度、本殿を新築・立替で移動させるという「意味」とは…。テレビなどの記念番組で「特集」して、放送しています。

前回の、今から、二十年前、我が地の氏神様「市杵島姫神社」(いちきしまひめじんじゃ=弁財天、私の所の地名は、そのままです。『弁財天』といいます)の「神社総代」の方々と、参拝しました。

近くの二見が浦で、朝日を拝みました。

絶好の気候に恵まれ、すがすがしい気分で、参拝させていただきました。