秋祭り。20151011。 2015/10/15
今年も、大勢の「氏子崇敬者」が集い、にぎやかに「秋の例大祭」が行われました。

平成3年からの出店も大にぎわいで、みんなで祭りを楽しみました。
我が家の「孝行竹」です。20150930。 2015/10/15
玄関口の庭に、塀に沿って「孝行竹」を植えています。4、5本の一つの「かたまり」が一所帯のようです。

毎年の竹の子は、九月の下旬から十月の 中旬までの間に出てきます。大体が、一所帯で一本です。必ず「親」の横から出てきます。孝行な竹です。
その成長ぶり、特に太さは、それぞれによって違っています。同じように見えますが、みんな個性があります。

以前に、ご紹介した「萩の松下村塾の周りの孝行竹」は、高く伸ばしていて、どれもこれも同じような太さであって、あれだけ密集させて植えておくと、家の囲いとしては槇囲いに劣らない立派なものでありまして、防風林・防砂林としても、最適のようです。

我が家は、低くめに剪定しています。夏の日差し避けには、最適です。
空海のみち ウォーク。20150929。 2015/09/29
四国霊場88か所の「二番札所・極楽寺」に、「空海のみち全ウォーク」の記念石碑があります。

今、四国88か所霊場、遍路道も含めて「世界遺産へ」との機運が盛り上がってきています。

ここ最近、特に、外国の方々のお遍路が増え続けていて、マナーとして「なぜ、お遍路なの」とは尋ねることはできませんが、四国の自然の中を巡る中に、何かを感じているのかもしれません。

その何かを、次の誰かに伝えるうちに、人が人を呼び、「みち」が人を包み込みこんでいるのかもしれません。

人のこころは、自然と一体である、という実感が満ちてくる「みち」です。

皆さん、どうぞ、どうぞ。

中秋の名月、平成27年9月27日。20150928。 2015/09/29
東の空に、午後五時半すぎから、姿を見せました。

美しい、綺麗、ビューティフル、そして、神秘なる光……。

28日午前10時46分には、月が地球に一番近い軌道を通り過ぎて、今年一番小さかった3月6日の満月と比べたら、直径は約1・15倍に見える、「スーパームーン」の輝きが見られます。

地球と、月と、太陽と…、そして、何光年も前の輝きが、今、届いている満天の星と……。

宇宙の「メカニズム」、自然の営み、空気や水の存在……、不思議です。

静かに見上げていると、吸い込まれそうな不思議なパワーを感じました。
秋祭り、近し。20150927。 2015/09/27
春の桜が満開すれば、近隣の方々がこぞって寄り合い、自然の美しさに感嘆し、ご近所のご縁を喜び、笑顔になるところです。

徳島県鳴門市撫養町弁財天の「市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)」の「秋例大祭」は、今年は10月11日(日)です。

日程が、「体育の日(祝)」の前日の日曜日になったのは、ごく最近の事で、以前には10月10日の「体育の日」であったりしました。
その前は、いつだったでしょうか、昭和40年代に鳴門市内の多くの神社で「その日に統一される」前は、それぞれの神社の秋祭りは、日程が違っていて、ここ「市杵島姫神社」の「秋例大祭」は10月23日であったように思いますが……。

神社の秋祭りは、氏子ともどもが、五穀豊穣や氏子各家の家内安全などへの「感謝」を申し上げる特別に大切な行事であります。そして、遠い祖先からこれから先の子孫まで続く日々の営みが「安寧であれ、と祈る時」を共有する行事であります。
神殿に向かって宮司が読み上げる祝詞を頭を垂れて心静かに聞き入れば、「感謝」と「祈り」の内容に、胸が熱くなり、涙も浮かんできます。

自然と一体となった日本人の心や、薄れかけているご近所との関りや支え合いや親子や高齢者とのふれあいを、見つめ直し実感する、大事な大事な行事、秋祭りであります。

昭和40、50年代あたりから、当日は、氏子総代と神輿まわしの方々だけの参加でさびしく衰退していったこの秋祭りも、平成3年ころから、以前の賑わいが戻り、今では、町内の一大「親睦会」となっています。

本日、氏子総代の打ち合わせ会で、ほぼ準備が整いました。
平成27年9月議会 一般質問。20150920。 2015/09/21
第三回定例会において、本会議で、質問しました。(平成27年9月17日)
(以下、概略・要旨を掲載します)

質問項目
 @鳴門市の教育行政について
   ・学校週五日制について
   ・二学期制について
   ・いじめ・不登校について

質 問 (要旨)
○ 学校週5日制は、平成4年9月12日、月に1回の第2土曜日が休みということになって、その後、月に2回、そして今のように完全土曜日休みということで、学校が週5日、月曜日から金曜日までということになっております。
これについて、開始前、当時から議論をされています。学校週5日制が始まって大丈夫なのか、どういう目的で始めるのか、という議論がありました。平成5年3月です。

当時の教育長・脇谷教育長の、平成5年3月の定例会での御答弁では、学校週5日制のあり方についてこのような御答弁でした。
「今日 子供たちが置かれている状況というのは、学歴偏重社会の中で親の願いはよりよい高校、大学への志向が強く、受験競争をエスカレートされ、小さいころより学習塾へ追い立てられております。こうした社会的風潮の背景の中で、偏差値に基づく学力観、人間評価の考え方が根づいて、その反動として不登校、中途退学等の現象を生んでおり、毎年増加し社会問題にもなっておる現状でございます。こうした教育課題を解決するため、国は教育課程を改善して知識量よりみずから学ぶ意欲や主体的に対応できる能力、新しい学力観を育てる教育への質的転換を図ることが教育の課題となっております。その意味において学校5日制の実施も子供にゆとりや豊かな体験の機会を充実して豊かな心を持つ人間の形成を図ろうとして実施されたものでございます」
というように学校5日制の意義、目的を、当時の教育長が答えています。

その後、平成6年12月、平成9年9月、それから近いところでは、私が平成25年9月に、学校5日制についての現状、並びにその効果について、等々の質問をしました。
 前の近藤教育長から、この5日制についての御答弁は、
「完全実施から11年を経て、本市においてもこの学校週5日制は定着しておりますが、一方では土曜日を必ずしも有意義に過ごしていない子供たちも少なからず存在するとの御指摘もあり、平成20年に改訂された新学習指導要領において、授業時数や教育内容の充実が図られたことを受け、東京都や栃木県などにおいては、実施回数や内容などに条件を設けた中で土曜授業を実施している自治体も見受けられるようになりました。
本市では、現在授業参観などの行事を土曜日に実施した場合は、月曜日に休業日を振り替えるなど、いわゆる土曜授業は実施しておりませんが、今後国や県の動向を注視しながら対応してまいりたいと考えております。」
とのご答弁でした。

最近では、その時代時代といいますか、年度年度に応じて学校週5日制についての捉え方が少しずつ変わっております。なぜ変わっておるか。それは国などの文科省の意向がちょっとずつ変わってきているということもありましたり、また完全学校週5日制と言いながらも、いわゆる文科省のほうの指導型の制度でありながらも、各自治体の適用といいますか、実情に応じてそれをやっていっていいよというような方向が見えてきているからであります。

学校週5日制の一番の目的は、やはり家庭・学校・地域の中で子供を育てるということを、家庭と地域が、それを十分もう一回把握し直すんだと、つかみ直すんだと。学校ばっかりに子供を預けるんじゃなしに、家庭の中で、地域の中で子供を見守っていくということを改めてしっかりと、また子供たちは子供たちで休みの中で、地域で、家庭で自分たちの想像力なり生きる力を伸ばしていくんだという、そういうような意図で始まったんですが、それがいつの間にか完全な土日休みということで、別の意味に捉えられているような流れになっておりまして、改めて学校週5日制について、もう一回考え直してみようじゃないか、見直してみようじゃないか、そういうようなことも始まっております。

私は、当時、小学校のPTAの役をしておりましたが、平成4年9月12日、土曜日が休みになったときは、皆さんも御存じでしょうけども、全国のマスコミ挙げて学校が休みになった。じゃあ地域の受け皿はどうなんだと。子供たちは地域でその土曜日、どうやって過ごしているんだということを、もう全国津々浦々の学校、地域で取材が入っておりました。それで学生からとりましたら、土曜日が休みになるということは画期的なことであったんでしょうけども、それがごく自然に2日休みになり、完全な土曜日休みになったということで、今完全学校週5日制になっております。

先ほど申し上げたように、それが徐々に変化してきておりまして、各地域の自治体の実情に応じてそれを考え直していいよと、そのような動きが出てきております。徳島県下でも、もう一度土曜日のことを考えてみようじゃないか、との動きが進められております。
その中で、鳴門市におかれましては、学校週5日制について、どのような対応をされていくのか。メリット・デメリットがあろうかと思いますが、土曜日授業の再開について、どのような方針でおられるかということをお聞きいたします。

どこかの首相でしたか、大統領でしたかおっしゃっておりました。国においては何が一番か。一に教育、二に教育ですか、三がなくて教育。人づくりあってこそ国がうまいこといくんだと。人があってこそ地域もうまいこといくんだということでおっしゃってました。
鳴門市におかれましては、その基本となります学校のあり方、学校週5日制についての方針をお伺いいたします。

○ 2学期制については、日本の四季折々を通じて、1学期、2学期、3学期があり、なおかつ 学期の初めには ちゃんとした始業式があり、そして終業式がある。
例えば、学校週5日制が始まり、土曜日の授業日数が少なくなった分をこの2学期制の中間の始業式、終業式でまかなうという、この時間帯を授業にとることによってまかなうというような論点もありますが、それでしたら9月1日に始業式をしたら、その後2時限目から授業やったらええんであって、やはり3学期制というのは、それなりのメリットがあるんでないかと今でも思っております。

今現在鳴門市は2学期制を存続していますが、このことについて、いかに検証され、これからのことに問題点、また課題点、またこの良さをどのように把握されておるのか、質問します。

○ 私たちは、地震、台風、津波などの大自然の猛威を想定して、災害を未然に防止したり、被害を最小限にしたり、などの様々な対応策、防御策を立てて行きますが、その想定をはるかに上回る災害が、ここ数年間で、発生しています。

行政事業の最大の目的は、人々の命の安全を守ることでありますが、このような大地震や津波、豪雨による災害が続きますと、自然災害から、どこまで命を守れるのか、少々、不安になってまいります。

一方、同じく命について、仙台市の「いじめを受け、自殺」して、「学校の対応が不十分であり、保護者に謝罪した」事件は、何とも悲しい事件であります。
何が原因だったのでしょうか、どのような状況だったのでしょうか、どうして未然に防げなかったのでしょうか。
必ず、守ることのできたであろう命なのに、どうして守れなかったのでしょうか。

平成27年3月に、教育委員会から「鳴門市いじめ防止基本方針」が、出されました。
いじめについて、防止策、早期発見策、対応策が、細かく述べられています。
現在の、鳴門市の「いじめと不登校」の現状と対策について、質問します。

意見・要望 (要旨)
○いじめ・不登校について
学校、地域社会、家庭、それぞれの現状の問題点の把握と、その解決策が毎度、毎度、提案をされています。この三者の連帯と連携と協力が一番大切であると言われております。
いじめは人間としては許されない、傍観者も許されないとの強い姿勢で臨み、いじめの根絶のために学校でも積極的に総力を挙げて取り組んでいただきたい。
やはり地域の方々の温かい目線でその子供の登下校、または家の中に子供がいる場合には、その子供たちに地域の方々が温かい言葉をかけてあげる、そして保護者の方が悩んでおったら地域の方々の経験豊かなお気持ちで、またその方々に地域の教育力、御近所力を発揮して子供と保護者を包んであげる事が大切であります。

○学校週5日制と2学期制について。
学校週5日制は、考える余地があるようですが、2学期制については、全く変えるつもりがない、との内容のご答弁でした。
学校週5日制で少なくなった授業日数を確保するとの視点で2学期制を導入していることであってはなりません。
今後も、続けて経緯を見守りながら質問にしていきます。
秋季大運動会。20150920。 2015/09/20
快晴です。青空です。風は心地よい北西からの風です。雲が、秋の模様の雲です。

多くの地域の方、保護者、そして、連休で、久しぶりにこちらに帰ってきた方、中学生・卒業生の顔なじみ、みんな、集まってきました。

六年生の保護者と一緒のフォークダンス、PTA綱引き、障害物競走、地区対抗リレー、紅白対抗リレーなどに、応援と歓声が響き渡りました。

特に、世話方の、六年生の動きは、素晴らしかったです。堪能しました。
秋祭り。20150919。 2015/09/20
徳島県の立江町は、私の在所・鳴門市の南に、県庁所在地の徳島市があり、その南に位置する町です。
四国霊場88か所、19番札所「立江寺」があります。

久しぶりに、「立江寺」近くの、元職場の先輩のお宅を尋ねたところ、奥様が「明日(9月20日)の秋祭りの準備に走り回っています」とのこと。
神社の場所を聞いて、走っていきました。祭り好き私は、一目散に。

立江八幡神社です。古き由緒ある神社です。準備が進められていました。
「だんじり」が三台、獅子舞、そして、子どもたちの「祇園囃(ぎおんばやし)」が、あります。
すごい、らしいです。子どもたちの「三味線」が。

20日は、我が地域の「林崎小学校」の運動会、日がピッタリと重なりました。
来年、楽しみにしています。
三世代ふれあいフェスティバル。20150912。 2015/09/20
『第21回川東地区三世代ふれあいフェスティバル』を開催しました。

目的は、
「急激に進む少子高齢化社会の中で、地域の人々が互いに支え合う『温かく、住みよいまちづくり』は、今、重要な課題となっている。この課題を解決するための取り組みの一つに、世代間の『温かい心の交流』が必要である。そこで、高齢者や成人・保護者、子どもたちが一堂に会し、楽しい集いをもつことで、お互いに『豊かな人間関係』を図り、『地域の絆を深める』とともに、この集いで学んだことが、日常生活の豊かさの創造に発展することを目的として、本活動を実施するものです。」

21回目、21年目になります。

地区の「老人クラブ」「自治振興会」「子ども会連合会」「民生児童委員協議会」「婦人会」の方々が、集まって、『遊び(おはじき、お手玉、けん玉、木ごま、輪投げ、ホールインワン)』を通して、「目的」を果たそうと、開催されています。
参加者数は、子どもたちが、180名、大人たちが150名。毎回、300名を超える人々が集まり、講堂の中は、ワイワイと賑わいます。

各コーナーで、「昔の名人」から、いろいろと「コツ」を教えてもらって、出来た時(コマが回せたときなど)の子どもたちと大人たちの「ニッコリ、笑顔」は、最高です。

始めた頃に、小学生だった子どもが、あれから21年、今度は、親として参加していたり、PTAで世話していた人が、今度は、幼稚園・小学生の孫と共に参加していたりで、楽しい楽しい活動であります。

この日は、その後、中庭にて、地区自主防災会からの、防災機材の活用展示の実演があったり、婦人会の方々の手づくりの、(炊き出し用)カレーライスの昼食の用意があったりで、これまた、大にぎわいでありました。

地域のみんな、顔見知り、心安く会話がはずみます。
朝夕の「登校・下校」には、「おはよう、いってらっしゃぁぁい」、「お帰りなさい」のあいさつが、あちらこちらから聞こえてきます。

そのような町、徳島県鳴門市撫養町の「林崎小学校」校区の町です。
バングラデシュ・阿波踊りプロジェクト。20150813。
 2015/08/14
先日、徳島新聞に紹介記事が掲載されていたので、歓迎会に申込み、参加して、素晴らしい時を頂いてきました。

日本に多大な感謝と親近感を持っているバングラデシュを、もっともっと知ってもらおうと、「在バングラデシュ日本国大使館」の後援承諾を受けて、『バングラデシュ・阿波踊りプロジェクト』実行委員会が、阿波踊りとバングラデシュ舞踊のコラボレーションを実現させました。

在日バングラデシュ人民共和国大使館 特命全権大使、在タイ国日本国大使館 特命全権大使、一般財団法人日本バングラデシュ協会 会長、など、多くの方々をお迎えして、歓迎会が開催されました。
バングラデシュ舞踊団の「美しきバングラデシュ」と題した舞踊が披露されました。

「全く、そのとおり」、私は、バングラデシュについて、全く知りません。国の位置、歴史、文化、自然と風土、農産物に漁業、都市や郊外の様子など、全く知りません。いや、今までは知る必要がなく、考えてもみませんでした。

バングラデシュの国旗は「緑地に赤丸」です。「白地に赤」の日本国の国旗と、とても重要な関係にあります。
また、日本から経済的な援助を受けながら、独立以来、発展を遂げています。

私は、海外渡航はあまり好きではありませんが、ちょっと行ってみたくなりました。
東南アジアの国々、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、インド、スリランカなど、どの国も、長い歴史をもち、色々な面で、日本と関係深い国々であります。

友好は、親睦から始まります。知り合って、食事を共にしたり、語り合って、お互いを理解し合って、仲良くなります。
個人的な「友好」から、地域間の「友好」(各自治体などの『友好姉妹都市』など)、また、企業間の「友好」、そして、国家としての「友好」へ。

めざすのは、全人類の「平和と安寧」。

あの戦争が終わって、70年。
例年のごとく、この盛夏のころには、けたたましい、騒がしい蝉の鳴き声のもと、連日、今、阿波踊りができる「平和」の有りがたさを語る記事と共に、戦争の悲惨さを伝える記事が、新聞に掲載されます。

あの戦争が終わって、70年。
戦争を体験した方の記事は、特攻隊のこと、激戦地でのこと、などなど想像を絶する証言内容ですが、記事が、ただの記事として、内容が、ただの内容として、あたかも、歴史物語になっていっているような、70年。

あと、20年も30年もすれば、「体験者」が居なくなれば、またまた、戦争を始めるのでしょうか。
独立戦争であれ、局地的な戦闘であれ、国家間の対立戦争であれ、人と人が殺し合うことは、どんなことがあろうとも、絶対に、してはならないこと。

バングラデシュ舞踊団の「国の誇りと豊かな自然に捧げる踊り」「国への愛と豊かな自然美をたたえるダンス」を見て、ここ徳島で見て、特に多くの方々が亡くなった8月に見て、今の日本国が平和であることへの感謝の念が沸き起こりました。

このあと、舞踊団の方々は、阿波踊り連と、コラボレーションするそうです。
「原爆の日」命を返せ。20150806。 2015/08/06
広島、被爆から、70年。

今年の夏も、今年の「8月6日」も、また、暑いです。

今年の蝉が、鳴いています。けたたましく、鳴いています。わずか七日の命を、鳴いています。

「ピカッ」の瞬間に、亡くなった人々、亜熱帯のジャングルで亡くなった人々、太平洋の海上で亡くなった人々、悲惨な攻撃を受けて亡くなった沖縄の人々、多くの人々が、亡くなりました。

戦争で…。

友の特攻機を見送り、次の出陣を待つ人々、毎日の空襲におびえる人々、国中どこもかも、「自分の命、自分の人生」の明日を、無条件に、絶たれていました。

戦争で…。

誰が、何のために、核を持ち、兵器を持ち、軍隊を持ち、人を殺す「準備」をしているのでしょうか。

誰が、何のために、短い一生(どんなに生きても、200年は生きられないのに)を、「殺し合い」のために、生きなければならないのか。

薄っぺらい赤い紙きれ一枚で、「殺し合い」を命令した「国家」、その「国家」を牛耳ってきた者たち…。
過ぎてしまえば、すべてが「権力(仮の、虚構の強制力)」の「嘘」であります。

日本の歴史も、世界の歴史も、平和と戦争の繰り返しで、過ぎてきました。
戦争すれば、平和を望み、平和になり、平和な日々を過ごしつつ、その内に「我欲」が増大すれば、戦争の無意味さと悲惨さを知らなかったり、忘れたりした者が、「武力」で物事を解決しようと画策します。

人の命、人生、たったの60年、70年、80年…。

誰にでも、どんな人にでも、絶対に備わっている、必ず「死ぬ」という事実を軽んじて、相手の命を、「武力」で抹殺しようとする「狂気」の集合体を作り出す「時代の空気」を、作り出すのは、誰だ。

命を返せ、命を返せ、我が兄(大正14年5月22日生まれ)は、昭和19年2月5日 軍用機にて戦死。
お盆が、近づきました。
またまた台風です。20150721。 2015/07/21
台風11号は、16日午後11時ごろ、室戸市付近に上陸。
上勝町で1時間に約120ミリの激しい雨が降り、県下各地で避難指示や避難勧告が出されました。
海・空の便、鉄道、高速道路にも影響したり、床上・床下浸水、停電など、日常の「生活」がストップしました。
被害を受けた方々に、復興のエールを。
亡くなった方にお悔やみ申し上げます。けがをされた方、家屋などへの被害を受けた方、早期の回復をお祈りします。

何とも、自然の猛威の中では、日々の生活って、ピタリと止まってしまいます。

自然の営みの凄さの前では、素直な気持ちになります。

春には春の潤い、夏には夏の勢い、秋には秋の装い、冬には冬のたたずまい、四季折々の風物に感謝です。
ボブ・ムーアヘッド牧師の説教。20150619。
 2015/06/19
私たちが、いつも発っしたり聞いたりする【言葉】、いつも気持ちのどこかに「〜でなければならない」と根付いている【意識】、いつも仕事をする時の原点としている【目標・目的】、それらは、………。

 進化 進歩 成長 開発 向上 便利 快適 効率 など

さぁ、どうなんでしょうか。人生で、それらが、一番大切な事なのでしょうか。

次のような、アメリカのボブ・ムーアヘッド牧師の説教があります。


『この時代に生きる 私たちの矛盾』
           ボブ・ムーアヘッド牧師の説教

ビルは 空高くなったが 人の気は 短くなり
高速道路は 広くなったが 視野は 狭くなり
お金を 使っているが 得る物は 少なく
たくさん物を 買っているが 楽しみは 少なくなっている

家は 大きくなったが 家庭は 小さくなり
より便利になったが 時間は 前よりもない
たくさんの学位を持っても センスはなく
知識は 増えたが 決断することは 少ない
専門家は 大勢いるが 問題は 増えている
薬も増えたが 健康状態は 悪くなっている

飲み過ぎ 吸い過ぎ 浪費し 笑うことは少なく
猛スピードで運転し すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 起きたときは 疲れすぎている
読むことは稀で テレビは長く見るが 祈ることはとても稀である
持ち物は 増えているが 自分の価値は 下がっている
喋りすぎるが 愛することは 稀であるどころか 憎むことが 多すぎる

生計のたてかたは 学んだが 人生を 学んではいない
長生きするようになったが 長らく今を生きていない
月まで行き来できるのに 近所同士の争いは 絶えない
世界は 支配したが 内世界は どうなのか
前より大きい規模のことは なしえたが より良いことは なしえていない

空気を浄化し 魂を汚し
原子核を分裂させられるが 偏見は 取り去ることができない
急ぐことは 学んだが 待つことは 覚えず
計画は 増えたが 成し遂げられていない
たくさん書いているが 学びは せず

情報を手に入れ 多くのコンピュータを用意しているのに
コミュニケーションは どんどん減っている
ファースト・フードで 消化は遅く
体は 大きいが 人格は 小さく
利益に没頭し 人間関係は 軽薄になっている
世界平和の時代と言われるのに 家族の争いは たえず

レジャーは 増えても 楽しみは 少なく
たくさんの食べ物に恵まれても 栄養は 少ない
夫婦で かせいでも 離婚も 増え
家は 良くなったが 家庭は 壊れている

忘れないでほしい
愛するものと過ごす時間を それは 永遠には 続かないのだ

忘れないでほしい
すぐそばにいる人を 抱きしめることを
あなたが与えることのできるこの唯一の宝物には 1円もかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に 「愛している」と言うことを
心を込めて
あなたの心からのキスと抱擁は 傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り その時間を慈しむことを

愛し 話し あなたの心のなかにある かけがえのない思いを 分かち合おう
人生は どれだけ 呼吸をし続けるかで 決まるのではない
どれだけ 心のふるえる瞬間があるかだ

○今生の限りある命の中で、出遭い、感動、こころのふるえ、こそが一番大事です。

 今日も、数多くのふるえの瞬間を体験して、一日が終わります。

 《一期一会》です。


本の『軌跡』。20150618。 2015/06/18
かなりの本を処分してきました。
処分と言っても、ゴミとして出していません。引き取ってくれる本屋に持っていきました。
残念ながら、その引き取り値段たるや、自分の「歴史的」な本の価値(自己判断)と比較すると、とてつもなくかけ離れていますが、ゴミとして捨て去るには忍びない、また誰かの手に渡り再利用されるならば、との理由で、引き取ってもらえるだけで満足しています。

蔵書本は、その人の「人生」を映し、その人の「歴史」を語っています。

高校生で「竜馬がゆく」を読んで以来、歴史ものに傾倒していきました。

「岩波文庫」の「論語」「歎異抄」「無常という事・小林秀雄」「学問のすゝめ・福沢諭吉」「エミール・ルソー著」、そして「茶道」に関する本は、二十歳前後のころの愛読書でした。

就職して初めて買った本は、「知的生きかた文庫」の「一番わかりやすい禅入門・ひろさちや著」でした。何かしら、よく覚えています。
そして、次々と買い漁っていったのが、本の題に、「日本語・言葉・心」の字が入っている本でした。
その中で、「PHP文庫」の「説得力・ロバート・コンクリン著」との出会いは、衝撃的でした。この本の副題は「敵を味方にする法」です。色々と思うところがあった時期だったのでしょう。

転機は41歳の時、「岩波文庫」の「ブッダのことば・スッタニパータ・中村元訳」と出会ってからは、人生論・人生訓を求めて、「論語」と共に、陽明学や老子、韓非子、孫子の方向に入り込みました。

こうして、つらつらと、しみじみと、本棚をながめてみると、今までの私の「気持ちの様子と変化」が、鮮明に見て取ることができます。

これから、どのような本が並ぶのでしょうか、はたまた、全く並ばないのでしょうか。

今は、電子「本」が出回っていますが、やはり私は、紙の本が好きです。読み終わったら、本棚に並べられる、紙の本が好きです。
平成27年6月議会 一般質問。20150605。 2015/06/07
第二回定例会において、本会議で、質問しました。

(以下、概略を掲載します)

質問項目

 @鳴門市の人口構成について
   ・人口減少について
   ・高齢化について

 ➁鳴門市の財政状況について
   ・特別会計について
   ・地方公営企業会計について

質 問
この四月、満開の桜に迎えられて入学した鳴門市の新一年生、小学生は、435人、中学生は、503人であります。
新一年生の児童・生徒数を見ると、団塊の世代の私たちの時は、私は第二中学校で、学年だけで330人余りいて、全校生徒、先生方を入れて、1,000人余りいましたので、子どもたちは、大きく減少しています。
このたび提出された「鳴門市スーパー改革プラン2020」。
こちらには、「鳴門市の置かれた状況」として、人口減少・高齢社会の到来と題して、鳴門市の人口推移が載っています。
鳴門市の人口減少の現状と課題について、また、この人口減少に対して、どの様に取り組もうとしているのか?
一方、鳴門市の高齢化の現状と課題について、また、この高齢化に対して、どの様に取り組もうとしているのか?

次に、特別会計と地方公営企業会計について
社会保障関係費である「国民健康保険事業」「後期高齢者医療」「介護保険事業」、それぞれの特別会計における一般会計からの繰入金の内容と、その状況について。
そして、人口減少や少子高齢化の進展が、各特別会計に与える影響と、その課題に対する取り組みについて。
地方公営企業会計の水道事業とモーターポート競争事業の財政状況は、どの様になっているのでしょうか。
地方公営企業会計の水道事業とモーターポート競争事業において、財政状況を踏まえ、それぞれの課題にどの様に取り組んでいくのでしょうか。

意 見・要 望
 現在の「行政システム」からすれば、約半分の「生産年齢世代」が、約半分の「子どもたちと、老人世代」を支える構図は、大変な事態であります。
 すなわち、医療介護費の負担の増加や労働力の低下して、その影響で税金の収入の低下することは、鳴門市の行政・自治体の業務が遂行できなくなる、ということであります。
 そのために、人口が減少しないように、増加するようにとの、様々な対策が講じられようとしていますが、果たして、それで、現状のような「行政システム」を続けて行くことが可能なのでしょうか。

 人口は、これから、益々、減少します。

決算書で見てみますと、
義務的経費は、
平成9年度では、「138億5,150万円」で、歳出予算の55.5%、
平成25年度では「132億8,618万円」で、歳出予算の56.7%、
余り、大差ありません。

しかし、問題は、その内訳です。
義務的経費は、「人件費」「扶助費」「公債費」で構成されていますが、
「人件費」は、
平成9年度では「87億544万円」で、歳出予算の34.8%、だったのですが、
平成25年度では「47億5,497万円」で、歳出予算の20.3%、
「扶助費」は、
平成9年度では「33億411万円」で、歳出予算の13.3%、だったのですが、
平成25年度では「51億4,887万円」で、歳出予算の22%、
「公債費」は、
平成9年度では「18億4,195万円」で、歳出予算の7.4%、だったのですが、
平成25年度では「33億8,234万円」で、歳出予算の14.4%、だったのですが、
人件費が、大幅に減少して、その分、扶助費と公債費が、大きく増加しています。
これからも、高齢化が進み、それに伴う「扶助費」(生活保護費や福祉施設での高齢者や障害者の支援などに必要な費用)は、益々、増えてまいります。

 確実に、増え続けて行きます。

そして、一方では、投資的経費、いわゆる「まちづくり事業費」は、
平成9年度では「49億4,308万円」で、歳出予算の19.9%、だったのですが、
平成25年度では「27億2,847万円」で、歳出予算の11.7%、となってきました。

今までは、職員数の減少で、人件費が減少して、その分を、扶助費と公債費に回せていました。
しかし、これから、団塊の世代が退職していったという、急激な職員数の減少、この方策は使えません。
ご答弁にあるような「高齢化」の現状、これは、高齢者への対応策であって、高齢化社会から生まれる「予算の変化」への対応策ではありません。
高齢化により、これから進展する「扶助費の増加」への対応策が、提言されていません。
ここの点を、私は、質問しているのです。

鳴門市の、いわゆる、社会構造の変化に伴い「行政システム」の変革を、どうするのか? を質問しているのです。

この点、後日、各常任委員会で、第6次総合計画の審議とともに、聞いてまいりましょう。

(概ね、この様な質問でありました)

さて、

○鳴門市の人口構成の「変化(特に生産労働人口の減少)」とその「財政需要」、それに対応するための新たな「財政改革」。
これは、鳴門市が、今まで経験したことのない事態であります。

○どうしていくのか、鳴門市よ。ここ数年、正念場です。
ヘンリ・ライクロフトの私記。20150522。 2015/05/22
ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」にこのような文章(段)があります。

「あといくたび春を迎えられることであろうか。あと十度か十二度といえばあまりいい気になりすぎているといえるかもしれない。それなら、せめてあと五、六度は春を迎えたいと思う。五、六度でも随分の長い年月だ。あと五度も六度も春がやってくるのを喜び迎え、初めて「きんぽうげ」が咲き初めてからバラが蕾をつけるまでその経過を愛情深く見守れるということが、どれほど大きな恩恵であることか! 大地が再び春の装いをつける奇蹟、なんとも名状できないほど目もあざやかな光景が、五、六度も私の眼前に繰りひろげられるとは! そのことを考えただけで、私はなんだか欲ばりすぎているような感じがしてならないのだ。」(岩波文庫・平井正穂訳)

この「ことば」に出遭ったのは、平成6(1994)年6月、前職の信用金庫を辞める(10月に辞めて、翌年7年4月の市議会議員選挙に立候補)4か月前の事でした。

この「ことば」から、人生の「有限性」と、自然界の「移り変わりの無限性」を感じました。

不思議に思っていました。
春になり初めるころに、蕾が膨らみ始め、時期がくると咲き、満開から、しぼみつつ、枯れていく、また、桜のように、花びら散って、すぐに来年の芽が顔を出し、次の年になれば、同じく季節の花が咲き誇る、この変化して、かつ、不変の自然界の営み、「移り変わりの無限性」が、不思議でした。

一方、人といえば、年を重ねて、時期を得て、死ぬばかりです。そこから、すぐに連鎖した生まれ変わりはありません。有限です。

だからこそ、あといくたびかの春の訪れを喜び迎えることができるのでしょうか。

この年、私は44歳、これを境に、生まれてから「何年」という誕生記念日の気持ちが消えて(もちろん、生きていること、生かされていることへの感謝は消えません)、あと何年の春を迎えられるのだろうか、と思うようになりました。

その日、その時、その刻、生きている大切さ・大事さを、しみじみと考えさせてもらえた、「ことば」です。
人生の指南書・「徒然草」。20150516。 2015/05/20
朝、ラジオから「林 望」さんの「講演」が流れてきました。
思わず吸い込まれて、聞き入りました。

子どもの教育、父親の生き様とその介護、自分の「書籍」の売却(処分)について、などなどで、どの部分を聴いても、自分(聴き手)の人生の中で、経験で知っていたり、体験していたら、ふうぅむと納得し感心してしまうほど、つまり、自分の事の様に、聴きながら「情景をイメージ」できるような内容でした。

【林望(はやし・のぞむ)氏は、1949年・東京生まれ。私(1950年・徳島鳴門生まれ)の一つ上です。作家・国文学者。慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。専門は日本書誌学、国文学。『 源氏物語』に関する著作、講演も多数。】

『自分は、古書の収集家である。
書斎には、とても貴重な本も並んでいる。
それらを整理にかかった。整理して、処分していい本を古本屋に持っていくと、低価格で引き取ってくれる。高いのに、価値があるのに、と思っても、また、違う誰かが「手にして」くれたら、それでいい。
「本への執着を捨て去り、身の回りをシンプルに、簡素にしていくことが大事です」
人生、いつ死ぬか、分かりませんから』と。

そして、最後に「徒然草・155段」を読まれました。
私は、この段を、常に大切にしています。

『徒然草』の155段
{古文}
第155段:世に従はん人は、先ず、機嫌を知るべし。序(ついで)悪しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず。さようの折節を心得べきなり。但し、病を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事なし。生・住・異・滅の移り変る、実の大事は、猛き河の漲り流るるが如し。暫しも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏み止むまじきなり。

春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先ず落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌し(きざし)つはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、持ちとる序甚だ速し。生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

[現代語訳]
世間に従う人は、まず物事が上手くいく時機を知らなければならない。順序を間違うという事は、人の耳に逆らい、相手の心にも逆らうことになり、その事は成し遂げられないだろう。物事が上手くいく時節というものを心得なければならない。しかし、病気をすること、子どもを出産すること、死ぬということは、時機を上手く図ることもできず、順序が悪いからといって止まるという事もない。人の生命・住居・差異・消滅などが移り変わっていくが、これらの大事は、激しい流れの川が勢い良く流れていくようなものだ。僅かの間も流れが滞ることはなく、あっという間に流れ去っていく。だから、仏道修行でも俗世間での行為でも、必ず成し遂げようと思う事であれば、時機ということは関係がない。あれこれの準備などは必要ない、足を止めないことだ。

春が終わって夏になり、夏が終わって秋が来るというのではない。春は既に夏の気配を感じさせ、夏は既に秋へと通じており、秋はすぐに寒くなって、十月はの小春日和の肌寒い天気となり、すぐに草は青くなって、梅の蕾も出来てくるのである。枯れ葉が落ちるというのも、葉が落ちてから芽をつけるのではなく、木々で兆している新芽に堪えきれずに葉が落ちるのだ。 初春を迎える新芽の気を、内部に蓄えているが故に、枯れ葉はあっという間に落ちてしまう。

『生・老・病・死』が移り変わることも、この自然の推移と似ている。四季にはそれでも、定まった順序がある。だが、死期は順序を待つということもない。死は、必ずしも前より来るのではなくて、いつも背後に迫っているのだ。人は皆、死ぬ事を知ってはいるが、死は急には来ないものと思い込んでいるものの、死はいつの間にか予期していない時に後ろから迫る。沖の干潟は遥か彼方にあるけれど、潮は磯のほうから満ちてくるのである。
てぃんさぐぬ花。20150510。 2015/05/10
外は、新緑、五月晴れ。

今年のGWが終わり、今日は、飛び石の休日・日曜日です。
明日から、通常の曜日が再開されます。

この期間に、家族で故郷に帰ったり、国内外に旅行したり、また個人的な趣味三昧に没頭したり、そしてまた、家でノンビリしたり、庭先の草花の手入れをしたり、思い思いに過ごされたことでしょう。

ラジオから、テレビから、穏やかなメロディや歌声が流れる中、聴くもとなく聴きながら、視るともなく視ながら、部屋の片づけや、本を読んだりで過ごしました。

この連休中、一番の「聞き入り」は、沖縄の歌「てぃんさぐぬ花」でした。

以下、歌詞を紹介します。


てぃんさぐぬ花(はな)や 爪(ちみ)先(さき)に染(す)みてぃ
 親(うや)ぬ 教(ゆ)し事(くどぅ)や 肝(ちむ)に染(す)みり

天(てぃん)ぬ 群(む)り星(ぶし)や 読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが
 親(うや)の教(ゆ)し事(ぐとぅ)や 読(ゆ)みやならん

夜(ゆる)走(は)らす船(ふに)や 子(に)ぬ方(ふぁ)星(ぶし)見当てぃ
 我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や 我(わ)んどぅ見当てぃ

宝玉(たからだま)やてぃん 磨(みが)かにば錆(さび)す
 朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨(みが)ち 浮世(うちゆ)渡(わた)ら

誠(まぐとぅ)する人(ひとぅ)や 後(あとぅ)や何時(いち)迄(までぃ)ん
 思(うむ)事(ぐとぅ)ん叶(かな)てぃ 千代(ちゆ)め栄い

なしば何(なに)事(ぐとぅ)ん なゆる事(ぐとぅ)やしが
 なさぬ故(ゆい)からどぅ なさぬ定み

戦(いくさ)する意味(いみ)に 意味(いみ)を重(かさ)ねても
 流(なが)す血(なみだ)の数(かず)には 何(なに)の意味(いみ)あるの


親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない。人生は真っ当に努力しなさい。そして、平和に安寧に暮らしていきましょう。

いい歌です。
星の岩屋。20150505。 2015/05/06
鶴林寺の近くに、19番札所・立江寺の奥ノ院「星の岩屋」があります。

由来は……、

『弘仁の昔、天に悪星きらめき地に病魔蔓りし折柄、四国御巡錫中なりし弘法大師が衆生の苦しみを憐れみ紫の雲棚びく深山に分け入り、天際より落つる白滝の後に大巌窟を控えたる仙境を発見し、その前に屹(そばだ)つ大岩上に於て二十一日間御祈禱を遊ばさるに満願の夜に至って悪星墜落し、これを窟中に封じ給ひしかば病魔その影を消せりあと。依りて後人この仙境を星のいわやと呼ぶ』

天に悪星きらめき、この星がきらめくと、地上の人々に病魔が襲ってくる(蔓延する)とありますが、これは一体どの様な事なのでしょうか。
空海さんが二十一日間御祈禱すると、満願の夜、この悪星が墜落してきたので、封じ込めると人々から病気が消えた、とあります。星が墜落してくるとは、これもどの様な事なのでしょうか。

滝の後ろの巌窟に入り、流れ落ちる白滝を見ていると、その当時、空海さんが
「どの様にしてこのような場所を見つけたのか、自然と分かったのか、昔から住んでいてこの場所を言い伝えで知っている在所の者から聞いて分け入ったのか、また、この場所での二十一日間御祈禱となると、寝食はどのようにされたのか」
などの、俗っぽい事を考えてしまいました。
巌窟の中でたたずんでいると、そのうちに、空海さんが、今も、ここで、悪星のきらめきを封じ込めるべく一心不乱に御祈禱されておられるかのような【気】が流れ漂い始めました。時空を超えて……。

絶え間なく滝の水は流れ落ち、住民の飲料となり、作物を潤しつつ、大海に出れば蒸発し、雲となり雨となり、また地上に降り注ぎ、滝となって流れ落ちる。
太古からの、これらの営みの中で、人々は、生かされてきたのだと、感激と感謝の気持ちがこみ上げてきました。

四国霊場開創 1200年です。

毎日毎日、命にからむ悲惨な事、考えられないような事が起こっています。
ここ70年の発達で、車を一人が一台持てる様になり、片手に乗る小さな携帯電話でどこの誰とでも瞬時に話せるようになり、新幹線や高速道路で移動時間が短縮され、これだけ文明が発達しながらも、『命』が粗末にされています。人が、人の息が、人の声が、消えつつあります。

空海さんが、なぜに「八十八か所霊場」を残して行かれたのか。今こそ、それの答えがわかるような時代である、と思わざるを得ません。

「霊場巡礼」は、日々の暮らしの嫌な事、苦しい事を忘れ去るためではないと思います。

人は生まれ、生き、子を持ち育てたり、伝統職を引き継ぎ、命をつなぎ、死んでいきます。

これまで、続いて来て、これからも永遠に続いて行くこの営みに感謝する「旅」、それが「霊場巡礼」だと思います。
どこから始めても、八十八か所を、ぐるぐるグルグルと回転する、人類の「旅」を凝縮した場、先祖・遠祖の存在に感謝し、これからの子子孫孫に祈りを奉げて行く、それが「霊場巡礼」だと思います。

もっともっと多くの方々に、巡り合い、廻り合いしていただきたい、と祈ります。
四国霊場札所20番 鶴林寺。20150505。 2015/05/05
晴天のもと、徳島県勝浦にある「鶴林寺」に、お参りしました。

狭く険しい参道を、くねくねと車で登ること、約20分余りでしょうか、エンジンがヒートアップしてしまいそうな臭いが立ち始めるころ、山門手前100メートルほどの所にある駐車場に着きました。10数台の車があり、これと途中にすれ違ったりしたら、難儀なことだと思いながら、車から降りると、参詣者の方々の「すがた」は様々で、白装束のお遍路姿、ハイキング姿、ラフな休日の家族、若いカップルなど、多くの方が訪れていました。

空海さんは、凄い「こと・もの・おしえ」を残されたんだなぁ、と感激しながら、お参りしました。

以下、四国霊場の公式HPから、概略的に引用させていただきます。

『標高550メートルの鷲が尾の山頂にある。樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っている。
寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781?806)の勅願により、弘法大師によって開創された。
大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。
また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。
以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正(1573?92)の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。』

この寺伝を読むと、ここは、凄いお寺と解ります。
ご本尊の体内の金の地蔵菩薩さまは、永久に直接拝見して拝むことはできないのでしょうか。

四国霊場開創1200年、にぎわっています。盛んになっています。
お参りの後は、心が清浄になったようで、すがすがしい気持ちで、下山しました。
深夜の人生訓。20150413。 2015/04/17
夜、車を運転していました。ラジオから、NHK高校講座「古典」の放送が流れてきました。

聞き入ってしまいました。

題は『人ごとに其の宝を有するに若かず』です。

以下のような、一説です。(以下、Yahooの「知恵袋」から)

【新序】
宋人有得玉者,献諸司城子罕,子罕不受。
献玉者曰「以示玉人,玉人以為宝故。敢献之」。
子罕曰「我以不貪為宝,爾以玉為宝。
若与我者,皆喪宝也。不若人有其宝」。

故宋国之長者曰「子罕非無宝也,所宝者異也。
今以百金与摶黍以示児子児子,必取摶黍矣。
以和氏之壁与百金以示鄙人,鄙人必取百金矣。
以和氏之壁与道徳之至言,以示賢者賢者必取至言矣。
其知弥精,其取弥精。
其知弥粗,其取弥粗。
子罕之所宝者至矣」。

【現代語訳】
宋の人で玉を得た者がいて,これを司城(役職名)である子罕に献じたが,子罕は受け取らなかった。
玉を献じた者は,「玉人(玉を鑑定する人)に示すと,玉人は(本物の)宝だとしています。
だから私は敢えて(無理をして・進んで)あなたに献じたのです」と言った。
子罕は,「私は貪らないということを玉とし,あなたは玉を宝としています。
若し私に玉を与えれば,皆が宝を喪うことになります。(つまり,あなたは宝である玉を失い,
私は貪らないという信念(玉)を失うからです。)人ごとに其の宝とするものが有るのであって,
それ以上には及びません(それに越したことはありません)」と言った。

だから宋国の長者は,「子罕は宝が無いのではありません。宝とする所のものが異なるのです。
今,大金と黍団子を子供に示せば,子供は必ず黍団子を取るでしょう。
和氏の璧(宝玉とは判らない)と大金を田舎者に示せば,田舎者は必ず大金を取るでしょう。
和氏の璧と道徳の至言を賢者に示せば,賢者は必ず至言つまり真実の言葉を取るでしょう。
その知恵・知性が精緻(優れたもの)であれば,その取るところはますます精緻となります。
その知恵・知性が粗雑(劣るもの)であれば,その取るところもますます粗雑となります。
子罕が宝とする所のものは,至ること=最上のもの(真実の言葉)です」と言った。


このように、講師の先生が、解説をしてくださいました。
急いで、車を止めて、ペンを持って、『しんじょ』、『人ごとに、宝を有するにしかず』と、メモをしました。

本当に、自分の人生、なにを『宝』として、生きていくのか ? いや生きてきたのか ?

財(金銭)? 地位? 名誉? 何を求めてきたのだろうか? 何を信条(信念、誇り)として 来たのか?

貪欲(どんよく)こそ、避けなければならぬ、瞋(いか)りこそ、避けなければならぬ、愚痴(ぐち)こそ、避けなければならぬ。

そう思い、再びエンジンをかけ、運転し、帰ってきました。
弁財天の桜。20150406。 2015/04/06
満開の桜です。

今から、80年ぐらい前に、神社の総代さんが植えてくれた桜。
幹の中央が太く、立派な枝ぶりで、今年も見事に咲きました。

4日の土曜日は、快晴で、多くの人が「誉め」に来られました。
綺麗じゃなぁ、見事やなぁ、と思い思いで写真を撮ったり、境内で遊んでいったりでした。

夜は、ライトアップして、枝葉が美しいシルエットを映し出していました。

今年もまた、ありがとう、と言っては見上げていました。
阿波の桜。20150325。 2015/04/04
今年もまた、桜の季節。

山々が盛り上がり、川の水面の輝きが増し、岸辺に並ぶ桜の木々が、一斉に「春」を告げています。

どこもかしこも、春です。
北灘東、西・幼稚園、小学校の「休園・休校」。20150322。 2015/04/03
北灘東幼稚園は、昭和42年4月に開園され、47年の歴史の中、約900名が卒園しました。
小学校は、明治9年2月に宿毛谷小学校として開校され、140年の歴史の中で、約5000名が卒業しました。

北灘西幼稚園は、昭和25年6月に開園されて、65年の歴史の中、約1200名が卒園しました。
小学校は、明治7年8月に折野尋常小学校として開校され、142年の歴史の中で、約4000名が卒業しました。

都会も田舎も問わず、少子化、高齢化の進む地域では、多くの学校が「休校、閉校」になりつつあります。

地域の「光」であり、地域の「生活、文化の拠点」であり、地域のすべてのことは「ここ(学校)から発信されている」のです。その学校が無くなると、子どもたちの声が聞こえなくなると、毎日の生活や文化など、地域のすべてのものが衰退していきます。

人口の減少対策に、よく、地域の特色を活かして、と言われますが、なかなか有効な活かし方は見つかりません。
都会が、あらゆる面(買い物、病院、交通機関など)で便利になればなるほど、人々は、都会に向かいます。
仕事も、都会が選択肢が広い分、多くの業種の人々であふれます。

国の政策が、これからも、都会一辺倒に、大規模という前提で、様々な事業を進めるならば、少子・高齢化、過疎化は、ますます進んでいきます。
言うならば、都会の生活を「不便」にして、田舎の生活が大自然に囲まれて「便利で豊かで」あれば、と思います。

卒業生の皆さん、地域の皆さん、ありがとうございました。
鳴門市精華幼稚園 修了式。20150318。 2015/04/02
一人ひとりが、担任の先生から名前を呼ばれ、幼稚園での生活の様子や、その子の「良い」姿が、紹介される中、園長先生の前に進み出て、両手で証書をいただきます。

そして、後ろに控えている保護者の所まで歩み、「いただきました」と告げながら、証書を見てもらいます。

保護者の方の笑顔の中には、春夏秋冬、送り迎えした日々がよみがえり、目の前に、立派に成長した子どもの姿を見て、嬉しさが満ち溢れます。最高の笑顔です。

本当に、立派になりました。

修了児は、60名。春からの小学校生活での成長を、見守っていきたいです。

ご修了、おめでとうございます。
鳴門市林崎小学校 卒業式。20150317。 2015/04/02
卒業式は、別れの儀式です。そして、新たな舞台への旅立ちの儀式です。

一人ひとりが、校長先生から、「修了」の証書をいただき、この母校から去っていきます。

立派に小学校課程を修め、立派に成長して、次のステップへ向かいます。

こうして、毎年毎年、多くの若者を送り出す厳粛な儀式に、立ち会わさせていただき、感激の極みです。

今年は、73名が卒業しました。誇らかに、証書を胸に、卒業しました。

卒業生と在校生との「別れのことば」、保護者のあいさつは、また、感激の鼓動を抑えることができませんでした。

中学校での更なる躍進を期待します。

ご卒業、おめでとうございます。
鳴門市第二中学校 卒業式。20150313。  2015/04/02
卒業式です。 男子38名、女子60名。計98名。

早いものです。月日の経つのは。あの子たちが、はや、中学校を卒業します。
この前、小学校で、昔遊びをしたり、秋祭りをしたり、また、登下校では「おはよう、お帰りなさい」と声を交わしていて、「おぉ、中学生になったのか」と思っていたら、中学校を卒業です。

卒業証書の授与で、一人ひとり、名前を呼ばれて、大きな声で「はい」と返事をして、すくっと立ち上がった姿を見て、感激してしまいました。

卒業生代表の「答辞」には、どっと涙があふれました。そして、式の後、保護者の方の謝辞には、どどどっと涙が止まりませんでした。

どうか、これから、夢をかなえるべく、毎日毎日、友と共に個々の人生を歩んでください。

ご卒業 おめでとうございます。
なるとあそびリンピック2015。20150214。 2015/02/14
鳴門市 林崎小学校で、あそびリンピックが開催されました。

遊びを共にして、地域の方々と「ふれあい」しましょう、との目的で、平成4年から始まりました。

あそびリンピックとは、「あそび」と「オリンピック」との、合成語です。

遊びの種目は、けん玉、木ごま、紙ばくだん、空き缶積み、お手玉、豆移し。

子ども達が「81人」、保護者や地域の方々が「69人」、集まりました。

それぞれのコーナーで、上手な人から【こつ】を教えてもらい(ふれあい)ながら、
楽しいひと時を共有しました。

昔の遊びは、いいですね。手足を使い、人と話をしながら、です。
子ども達は皆さん、真剣にやっていました。大人たちは、子どものころに戻ったように
子ども達と向かい合っていました。

今年も、地域で触れ合って、安心で安全な「まち」をつくっていきましょう。
新年の夕日。20150102。 2015/02/14
明けまして おめでとうございます。

平成27(2015)年 新しい年が 明けました。

今年も 実り多き よき年でありますように。

新年の夕日です。美しい夕日です。
三世代ふれあいクリスマス会 20141220。 2014/12/31
精華幼稚園、林崎小学校校区の、三世代の皆さんが、今年もまた、参集して、クリスマス会を開催しました。

静粛にしてキャンドルを囲み、この一年を振り返り、周りの方に感謝を表し、全員で楽しいゲームをして、ふれあいを深めました。

地域のコミュニケーション、支え合いは、最も大切なことです。その中心には、いつも子ども達の笑顔があります。

今年もありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。